動物とヒトの涙の違いとは

  • 2018.07.17 Tuesday
  • 13:01

動物とヒトの涙の違いとは

 

トウ先生、この夏は松尾芭蕉の足跡を追って小旅行に行ってみようと思うのですよ。

 

芭蕉の俳句を読むと、実に旅情を誘われますね。私もみちのくの旅に出てみたいものです。松尾芭蕉の『奥の細道』に、

  行く春や鳥啼き魚の目は泪

という有名な句がありますね。この句の大意は、春はもう過ぎ去ろうとしている、行く春との別れを惜しんでいるのは人間ばかりではないようだ。鳥は悲しげに啼き、魚の目は涙にうるんでいる、という意味で、非常に趣の深い句です。しかし、せっかくの名句をあげつらうわけではありませんが、魚の目に涙というのはありえないことです。

涙はそもそも目が乾燥しないためのもので、水中で生活をする魚の目はいつも潤っていますから、魚の目には涙はありません。涙が存在するのは、陸上生活をする両生類以上の生物です。

 

うなると、「行く春や鳥啼き猫の目は泪」とでもすべきでしょうか。句の情趣はかなり落ちてしまいますが。

 

なかなか面白いですが、残念ながらそれもないでしょう。

悲しみや喜びで涙が出る、感情の高揚によって涙が出てくるのは、数ある動物の中でも私たち人間だけの特性だからなのです。

ヨーロッパでは、獲物をとらえて水面に浮かびあがったワニが涙を流すので、ワニは慈悲深い動物で、獲物への慈悲の涙を流すと言い伝えられてきましたが、これも瞬膜が水をぬぐう作用に過ぎず、感情による涙ではありません。

 

情による涙を流すのは人間だけなのですか。

ところで涙といえば、「鬼の目にも涙」とか「スズメの涙」など、言葉の例えにも使われますね。

 

「鬼の目にも涙」という場合の「涙」は、ワニに言われたような慈悲の意味ですね。しかし「スズメの涙」というのはちょっと違っていて、小さいもの、少ないものの意味です。「涙金(なみだきん)」のような使い方です。スズメのように小さな動物の、しかも涙のように小さいもの、ということで、極めて小さいものを意味する場合に使われています。

 

たちにとって身近な「涙」ですが、こうして見ると、さまざまな発見があるのですね。

 

(原作:医学博士 武藤政春)

 

  • 0
    • -
    • -
    • -

    動物の目のつく言葉【英語編】

    • 2018.06.21 Thursday
    • 14:26

    動物の目のつく言葉【英語編】

     

    回は動物の目に例えた言葉を、日本語表現においてお話しいただきました。今回は西洋における動物の目の例えについてお聞かせください。

     

    英語の「cast 〔make〕sheep’s eye at〜(ヒツジの目を投げかける)」、これは「〜を流し目で見る、〜に秋波を送る」という意味で使われているようです。ライオンなどの肉食動物の目は、前方がよく見えるよう顔の前面に並んでついています。草食動物であるヒツジの目は、顔の側面についていて、どこから敵が襲ってきてもすぐに発見できるようになっています。ヒツジは同時にその目が切れ長であるため、何となく流し目をされているように感じたのでしょう。

     

    ツジの目をそのようにとらえるとは、面白いですね。他にはどのようなものがありますか。

     

    cat’s eye(ネコの目)は宝石の猫目石のことですね。ネコは、網膜の外側に反射層を持っています。外から直接網膜に達する光だけでなく、網膜をいったん通過した光を反射層で反射させ、もう一度感知するようになっています。反射した光が目の外にも出てきますから、ネコの目は薄暗闇でキラキラ光るのです。ちょうど猫目石がそのように光る石なので、cat’s eyeと名付けられたのでしょう。cat’s eyeは網膜芽細胞腫などの際に、目がキラキラと光る場合の症候名としても使われます。

     

    候名の表現が、動物の目に由来することもあるのですね。

     

    有名なものに、crocodile tears(ワニの涙)があります。これは先天性または顔面神経の麻痺後に起こるもので、顔面神経の配線が混線することによって、飲食時に唾液だけでなく涙も同時に出てしまう症状です。実際にワニが飲食時に涙を流すことはありませんが、瞬膜が角膜上の余分な水分をぬぐっている様子がそう見えるのでしょう。現在、一般的な英会話でcrocodile tearsといえば、そら涙を流す、しらじらしく流す涙を意味しています。

     

    「目」「eye」を用いた表現には実にさまざまなものがあるのですね。文化の東西を問わず、昔の人々の観察眼には驚かされます。

     

    (原作:医学博士  武藤政春)

    • 0
      • -
      • -
      • -

      動物の目のつく言葉【日本語篇】

      • 2018.06.18 Monday
      • 11:23

      動物の目のつく言葉【日本語編】

       

      雨に入りましたね、ムトウ先生。「蛇の目でお迎え〜」なんて歌もありましたが、最近はあまり言われなくなりましたね。

       

      「蛇の目傘」の「蛇の目」は、太い輪の形を意味する言葉です。形がヘビの目に似ているところから名付けられたのですよ。日本語には、このような動物の目に例えた言葉がたくさんありますね。例えば、足の裏などにできる「魚の目」は、形がサカナの目に似ていることと、サカナの目を食べるとなりやすいという言い伝えから名付けられたようです。

      ほかにも「猫の目」は「巨人打線はしょっちゅう打順が変わる猫の目攻撃だ」のように使われます。めまぐるしく変化するものの意ですね。瞳孔は、暗い所では光を多く採り入れるために大きく、明るい所では反対に小さくなります。ネコはヒトに比べて瞳孔の大きさの変化が非常にすばやいので、めまぐるしく変わるものに対して例えに使われるのでしょう

       

      かにそうですね。ほかにもそのような例えを使った言葉があるのでしょうか。

       

      夜になると見えなくなる夜盲症のことを「鳥目」といいますね。目の網膜の視細胞には、錐体と杆体の二種類があります。錐体は昼間明るいところで働き、杆体は夜働きます。トリは網膜の視細胞すべてが錐体で構成されています。ですから昼間はヒト以上に視力が優れていますが、夜は全く見えなくなっています。

       

      の目が夜見えないのは、そのような訳なのですね。

       

      鳥といえば、「鵜の目鷹の目」は、ウやタカが獲物を探すときのように、熱心に物を探す目つきや様子をいいます。ウやタカは実際にヒトよりも視力のよい動物です。ウは空気中でも水中でも物がよく見えます。ウの目の水晶体はピント合わせの力が非常に強力なので、ヒトのように水中で遠視になることもありません。またタカは、ヒトの八倍以上視力が優れていると言われています。タカの視力が優れているのは、網膜に錐体が非常に機能的に集中して分布しているからです。

       

      代東洋人が、いかに自然に対して鋭い観察力を持っていたかを物語っていますね。

       

      東洋だけでなく、西洋にも動物の目に例えた言葉がありますよ。次回は西洋についても見てみましょう。

       

      (原作:医学博士 武藤政春)

      • 0
        • -
        • -
        • -

        狂歌に詠まれた「目」

        • 2018.06.06 Wednesday
        • 19:02

        狂歌に詠まれた「目」

         

        「狂歌」を知っていますか?洒落や風刺をきかせた五・七・五・七・七の短歌です。現在はすたれてしまいましたが、「目」の出てくる狂歌には面白いものがあるのですよ。

         

        前、「目」の出てくる川柳についてお話しいただいたことがありましたね。狂歌についても興味深いです。

         

        江戸時代の狂歌を見てみましょう。例えばこんなものがあります。

          としどしに目も弱りゆき歯もかくる

          古鋸(ふるのこぎり)のひきてなき身は

        「ひきてなき」は「引く手あまた」の反対です。古くなった鋸は目も弱り歯も欠け、誰も引いてはくれないのと同じように、若い頃はあれ程言い寄る男が多かったのに、年をとり目も弱り歯も欠けるようになったこの頃は誰も声をかけてくれないという狂歌らしい題材です。

          福徳の宝と思へのらむすこ

          いつも親父にもらふ目の玉

        大目玉をくれる親父も最近は少なくなってきたようですね。

         

        かなか面白いですね。他にはどのようなものがあるのでしょうか。

         

        狂歌には恋の歌も多いようです。

          こはごはも人の見る目をぬき足に

          ふみそめてけり恋の道芝

        これは初恋を詠んだ歌ですね。「目をぬき」というのは、人の目をくらませることで、「抜き足」にかかるかけ言葉になっています。

        目の病気が登場する狂歌もあります。

          「目をやめる人をみ侍りて」

          うば玉のやみ目は空にしられねど

          うたかたは星かたかたは雲

        「うば玉の」というのは黒、夜、夢、闇にかかる枕詞です。闇、空、雲という縁語を使って、目の病気の人を見舞に行ったら、ある人達は目の星で、ある人達は目の雲で入院していた、と詠んでいるのです。この頃から目の病人も入院していたらしいことがうかがえますね。

        目星というのは今でいう角膜感染症のことで、目の雲とは翼状片のことでしょうか。

         

        柳などは現在でも愛好者が多いですが、狂歌がすたれてしまったのは何故でしょう。

         

        庶民の文学となった川柳に対して、狂歌は古典和歌の伝統を負っており、より文学的素養が必要な分だけ難解なのでしょう。狂歌では、縁語、かけ言葉、本歌取りといった古典和歌の技巧が駆使されており、古典和歌の素養が必要とされるのです。

        しかしながら難解なものだけではなく、狂歌にもそれなりの良さがあります。今はすたれてしまっていますが、狂歌の良さが再認識されてもいいのではと思います。

         

        (原作:医学博士 武藤政春)

        • 0
          • -
          • -
          • -

          地球から消えた恐竜の目

          • 2018.05.22 Tuesday
          • 17:26

          地球から消えた恐竜の目

           

           

          トウ先生、恐竜展を見てきましたよ。太古の時代に生息していた恐竜に思いをはせると、子どもでなくともワクワクするものですね。

           

          本当にそうですね! 1822年、イギリスの開業医であり化石収集家であったマンテルは、不思議な形の歯の化石を見いだし興味を抱きます。当時の専門家たちは「サイの歯」と考えましたが、その一帯からさらに化石が発見され、その骨格は現存するどの動物にも該当しないことがわかります。歯はイグアナの歯に似ているがずっと大きな動物であるため、その動物は「イグアノドン(イグアナの歯)」と名付けられます。その後これに類する化石が世界各地で発見され、この生物は「Dinosauria(恐ろしい爬虫類)」と命名されたのです。
          現在知られているように、恐竜は2億年から6500万年前頃まで地球上の覇者として君臨し、6500万年くらい前に突然絶滅します。絶滅の原因は諸説ありますが、決定的なものとはなっていません。

           

           

          のような大きな体ですから、目の視力も相当に良かったのでしょうね。恐竜

           

          恐竜はすべて絶滅しましたから、実際の生態やどんな目を持っていたか、全容を解明することはできません。しかし化石からは、脳の大きさや目の位置などを知ることはできます。その歯を見れば草食性か肉食性かがわかります。プロントサウルスやイグアノドンなどは草食性で、体の大きさに比べて脳も目もあまり大きくはありません。したがってそれほど視力は鋭敏ではなかったようです。

           

           

          食性の恐竜はどうでしょう。狩りをするので視力も優れていたのではないでしょうか。

           

          ティラノサウルス、ディノニクスなどの肉食恐竜は、頭蓋骨も大きく、眼窩も大きいので、より大きな脳と目を持っていたはずです。目も顔の前面に並んでついているので、両眼視機能もよかったと考えられます。
          恐竜の中で特に大きな目を持っていたのが、オフタルモサウルスです。オフタルモは目の意味ですから、その特徴からこの名がつけられたのでしょう。オフタルモサウルスは魚竜として非常に進化した恐竜です。薄暗い水中でエサをとるのにも十分役立ったことでしょう。

           

           

          竜がどのような目をしていて、その目がどのような能力を持っていたか、考えると実に興味深いです。科学のテーマとして非常に面白いものの一つですね。

           

          (原作:医学博士  武藤政春)

          • 0
            • -
            • -
            • -

            超音波で闇を見るコウモリ

            • 2018.05.11 Friday
            • 18:16


            超音波で闇を見るコウモリ

             

             

            トウ先生、休暇中に鍾乳洞に行ってきたのですが、上の方をコウモリが飛んでいるのが見えましたよ。コウモリはあんな暗い場所でよくぶつからずに飛び回れますね。

             

            コウモリの顔を見たことがありますか?不格好に大きい耳、大きなひだを持つ分厚い鼻、溝の多いしわだらけの口、人間の美醜の基準では、醜の部類に入るでしょう。ところが、コウモリにとっては、この顔こそが命といってもよいのです。
            1793年、イタリアの動物学者スパランツアーニは、放し飼いにしていたペットのフクロウが、真っ暗闇の中では周囲にぶつかってしまうことに気付きました。夜行性の動物なのになぜ、と思った彼は、試しにコウモリをつかまえ、真っ暗な部屋に放してみました。コウモリは周囲にぶつかることなく部屋の中を飛び回ります。試しに目をふさいでみても飛び回ります。次に耳をふさいでみると、今度は飛び回ることができません。なぜ目よりも耳なのか。彼はこの答えを見つけることが出来ませんでした。

             

             

            の謎は後に解明されたのでしょうか?

             

            その答がわかったのは145年も後の1938年のことです。ハーバード大学のピアース教授らが、コウモリは飛行中に口や鼻で超音波を発信し、その反響を耳で聞きとって、障害物やエサの存在を感知していることを発見しました。
            超音波を発信するためには、どうしても大きなひだを持つ鼻と、しわだらけの口が必要であり、反響してくる音波を感知するためには大きな耳が必要です。コウモリの超音波システムは非常に精密に出来ていて、例えば2メートル離れた所にいる1センチメートルの大きさの虫でも感知できるといわれています。

             

             

            の中で暮らすコウモリにとって目の役割を果たしているということですね。目そのものはあまり使わないのでしょうか。

             

            コウモリにとって目が必要ないのかというと、そうではありません。コウモリが生息する洞窟の入り口を黒い板でふさいでおくと、帰ってきたコウモリはその板にぶつかってしまいます。超音波システムが作動していれば避けられるはずです。 コウモリは四六時中超音波を発しているのではありません。それは私達人間でいうと泣き叫んでいる状態と同じです。大声で何時間も泣き続けることは出来ませんね。多少明るいところや、慣れた場所では超音波を休ませ、その間は視覚に頼って活動しているようです。

             

            (原作:医学博士  武藤政春)

            • 0
              • -
              • -
              • -

              ノアの方舟に似た眼病とは 〜聖書と眼病(2)〜

              • 2018.05.01 Tuesday
              • 14:25

              ノアの方舟に似た眼病とは 〜聖書と眼病(2)〜

               

               

              回に続き、聖書から連想される眼病についてのお話ですね。

              旧約聖書の「創世記」6〜9章には、ノアの方舟の話が出てきます。暴力や不正が横行し、世の中がすっかり乱れた様子を見て、神は人類を作り賜うたことを後悔し、これを絶滅せんと考えました。唯一人ノアだけは正直に神を敬い生活していたので、神はノアだけは助けようと思い、ノアに命じて一隻の舟を作らせます。これにノアの家族および全ての動物のひとつがいずつを乗船させました。しかる後、40日間に及ぶ大嵐を起こし地上に大洪水を起こして方舟に乗っていた者たち以外を絶滅させてしまったという話ですね。

               

               

              名な話のひとつですね。これに似た眼の病気とはどのようなものでしょうか。
              ノアの方舟の場合、神は舟が出来上がるのをきちんと待っていてくれたわけですが、もし舟が出来上がる前に大嵐を起こしてしまったとしたらどうなったでしょう。正にそのような状況と考えられる目の病気に未熟児網膜症があります。
              眼球の網膜は母胎内で10ヵ月かかって完成するスケジュールになっています。それが妊娠7〜8ヵ月頃に早産で生まれてしまうと、未完成の網膜が外界の光という大洪水の中で大急ぎで舟(網膜)を完成させようとし、そのあせりが網膜に異常な反応を引き起こしてしまうことになるのです。

               

               

              界の光という大洪水とは言いえて妙ですが、未熟な網膜にとっては大変なことですね。

               

              方舟(網膜)が完成するまでは、洪水(出産)を起こさないように、神様(両親)は充分気をつけてあげなければならないでしょう。
              聖書に載っている話は、現代の我々にとっても色々と教訓になるものが多いように思います。

               

              (原作:医学博士  武藤政春)

              • 0
                • -
                • -
                • -

                目の血管の兄弟ゲンカ 〜聖書と眼病(1)〜

                • 2018.04.23 Monday
                • 14:04

                目の血管の兄弟ゲンカ 〜聖書と眼病(1)〜

                 

                 

                トウ先生、ホテルに泊まった時、いつも奇異に思うのですが、必ず聖書が置いてあるのですね。外人客など稀にしか泊まらないのではないかと思われるところでもそうです。
                 

                聖書をめくってみると、結構面白い話が載っていますよ。特に旧約聖書は大昔の物語と言った色彩が強く、興味深いです。中には眼病の予防に関して、教訓となるような話もあります。

                 

                 

                えばどのような話でしょうか?

                創世記四章には、アベルとカインの話が出てきます。アベルとカインはアダムとイヴの間に生まれた兄弟です。アベルは優等生タイプのいい子、カインは腕白でも逞しく…という言葉のように育った子です。アベルは羊の放牧を行い、カインは土地を耕しました。最初の実りの秋、兄弟はともに神に捧げ物をしましたが、神はアベルの捧げ物だけを受け取り、カインの捧げ物は受け取りませんでした。つまり神のエコヒイキがあったわけですが、これを悲観したカインはアベルを殺してしまいます。
                しかしその結果、アベルの恨みの血が大地を覆い、土を耕すことが出来なくなったカインは放浪の旅に出るという話です。

                 

                 

                ベルとカインの話をテーマにしたものとして、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」、映画では「エデンの東」などがありますね。

                 

                そうですね。私はこの話を読んで、網膜静脈閉塞症という眼底の病気を連想しました。網膜静脈閉塞症というのは、眼底の動脈と静脈の交叉部において、動脈が静脈を圧迫し、静脈の血液の流れを一時的に頓挫させた場合に、静脈を流れ去るべき血液が静脈からあふれ出て、いわゆる眼底出血を起こしてしまう病気です。
                出血を起こした領域の網膜は、出血により毛細血管網が圧迫され、血液が流れ込まなくなるので、結局その領域の網膜は栄養が受け取れなくなってしまいます。
                これは正に、カインたる動脈が、アベルたる静脈の首を絞めた所、静脈の恨みの血が大地(網膜)にあふれ、結局動脈も自らの耕すべき大地を失う様なものです。

                 

                 

                の血管に兄弟ゲンカされて、その結果目が見えなくなってしまうのは辛いですね。

                 

                この病気は血圧が上昇したときに起こすことが多いですから、気をつけたいですね。次回はもう少し、聖書から連想する眼病の話を紹介しましょう。

                 

                (原作:医学博士  武藤政春)

                • 0
                  • -
                  • -
                  • -

                  ヘビが持つ「もう一つの目」

                  • 2018.04.10 Tuesday
                  • 18:13

                  ヘビが持つ「もう一つの目」

                   

                   

                  トウ先生、春には虫たちばかりでなくヘビなども活動を始めるそうですね。手足のないヘビは、その分、目などの感覚器官が優れているのでしょうか。

                   

                  旧約聖書では、エデンの園でイブはヘビにそそのかされ、禁断の木の実を食べてしまいました。その罰としてヘビは手足をもがれ、地を這い回って暮らすように命じられたといいます。
                  手足という大切な器官を取り上げられたヘビが今日まで生き長らえてきたのは、特別な感覚を持ち合わせたためかもしれませんね。

                   

                   

                  活圏である草むらは視界が良くありませんが、そこに適応した感覚を持つのでしょうか。

                  まずヘビの目には、他の動物には見られない特徴があります。ヘビの目は透明化した皮膚が眼球をおおっています。特殊なコンタクトレンズで保護されているようなものですから、草で目を突きささずに済む大変便利なものです。また、ヘビの目の構造から考えて、相当良い視力を持っているはずです。
                  しかし視界のよくない草むらでは、視力を十分生かしているとは思えません。しかもヘビの主食であるトカゲやカエルなどは、周囲に合わせて体の色を変える能力がありますからね。

                   

                   

                  ビの優れた視力を持っていても見つけにくいというわけですね。それを補うような器官があるのでしょうか。

                   

                  実はヘビには「もう一つの目」があるのです。1952年のアメリカの研究で、ヘビの両目をテープで覆い、臭神経を遮断するものを吹きかけて、マウスのオリに入れてみました。すると視覚も臭覚も利かないはずのヘビが、難なくマウスを捕まえたのです。
                  その後の研究で、ヘビは目と鼻の間にあるえくぼのような凹みに温度感覚の受容器官を持っていることが明らかになりました。
                  ヒトの皮膚には、温かさを感じる温点が1平方センチメートルあたり3つあります。ところが、ヘビのこの凹みには15万個も集中して存在しています。この感覚器官は一対ありますから、ちょうど両目で物を見て立体感が得られるように、温度を発する物体の方向や距離、大きさから形まで、ある程度わかるようになっています。

                   

                   

                  から視界の良くない草むらでもエサの存在を探知できるのですか。ヘビは手足を持たない代わりに、生きていくうえで目以上に頼もしい武器を与えられたという訳ですね。

                   

                  (原作:医学博士  武藤政春)

                  • 0
                    • -
                    • -
                    • -

                    梶原景時はなぜ頼朝を見逃したか?

                    • 2018.03.30 Friday
                    • 14:25

                    梶原景時はなぜ頼朝を見逃したか?

                     

                     

                    梶原景時という武将を知っていますか。1180年、平氏追討のため挙兵したものの敗走した源頼朝を、山中において見逃したというエピソードが知られています。


                     

                    朝が隠れている洞窟を覗き込み、そこに頼朝がいるのを知りつつも見逃したとか。武士の情けか、はたまた頼朝の堂々たる姿に気押されたか…感動的な逸話ですね。

                     

                    しかしその話は本当なのでしょうか?当時の景時の立場としては、もし頼朝の首を取れば大変な手柄であったはずです。後年景時は、この一件もあって頼朝に重用されるようになったものの、この時点での頼朝は敗軍の将であり、いわば賞金首のようなものです。果たしてこのようなチャンスを武士の情けなどで放棄するものでしょうか。

                     

                     

                    時は武士の情けより、実利を取るような人物だったのですか?

                    景時はのちに頼朝に仕えるようになり、源平の合戦には源氏方として出陣します。屋島の合戦の時、義経に逆櫓を船に付けることを進言して叱責され、以後義経を恨むようになります。義経の行状を事ある毎に頼朝に進言し、兄弟対立を煽るようになったようです。
                    頼朝の死後、幕府内に権力闘争が起きると、彼は結城朝光を陥れようとして逆に三浦、和田氏等の弾劾を受け鎌倉を追われます。このため彼は、幕府に対抗し挙兵しようとしますが、上洛の途中、追討軍に討たれ一族ことごとく討ち死にします。

                     

                     

                    時の人物像は、頼朝を見逃した、無欲で高潔な武将とは隔たりがあるように思えますね。

                     

                    むしろ、野心が強い小人物という人間像が浮かんできます。こんな人間が、目の前にぶら下がっている大きなチャンスを逃すでしょうか。
                    景時が洞窟の中を覗き込んで、頼朝を見逃したのは、決して頼朝の姿を認めながらではなく、頼朝の姿が見えなかったからであると考えた方が納得がいきます。

                     

                     

                    いうことは、景時の目に何かの原因があったとも考えられるわけですね!

                     

                    これは私の想像でしかないのですが、景時は実は夜盲症で、そのため薄暗い洞窟の中がよく見えなかったために、頼朝を見逃したのであると考えると、わかりが良いような気がします。

                     

                    (原作:医学博士  武藤政春)

                    • 0
                      • -
                      • -
                      • -