ねぶた祭の「ねぶた」の意味とは〜ねぶたの歴史(1)〜

  • 2017.07.21 Friday
  • 17:24


ねぶた祭の「ねぶた」の意味とは〜ねぶたの歴史(1)〜

 

 

トウ先生、夏は各地で華やかな夏祭りが行われますね。

 

華やかな夏祭りというと、東北地方の祭りが思い浮かびますね。仙台七夕まつり、秋田竿燈まつり、青ねぶた.gif森ねぶた祭の三大祭は、ぜひ行ってみたいものです。特にエネルギッシュな夏祭りとして有名なのは、青森市のねぶた祭りと弘前市のねぶた祭りですね。

 

 

ぶた祭りといえば、大きな燈篭のまわりを「ラッセー、ラッセー、ラッセッセー」と踊って練り歩く光景が有名ですね!

 

ねぶたは、盆に家々に迎えた先祖の霊を燈籠とともに送り出す灯籠流しがその起源となっています。灯籠流しには、罪や汚れをも送り出してしまう意味がこめられていますが、「ねぶた祭り」には、「ねぶた」を追い払う意味がこめられているのですよ。
「ねぶた」というのは「ねむた=眠たい=睡魔」という意味なのです。睡魔を追い払うためにも、目の覚めるような、派手な大きな人形燈篭が必要なのでしょう。

 

 

ぶた祭りにはそのような意味があったのですね。

 

8月といえば、労働が厳しく、眠気に襲われやすい季節ですが、1年の3分の1を雪に閉ざされる津軽の人にとっては、夏の間にしっかり働いておかねばならず、疲れた体にムチ打って、睡魔を追い払おうというわけです。
華やかな祭りの陰には、雪深い里に住む人々のやるせなさが漂っているようでもあり、「ラッセ、ラッセー」という勇ましい掛け声も、どこか物悲しく聞こえるようにも思えますね。

 

 

ぶた祭りは、古くから行われていた祭りなのでしょうか。

 

弘前市のねぶた祭りは少なくとも二百年以上の歴史を持っています。対して、青森市のそれはずっと歴史が浅いのです。青森市は、明治に至って青森県の県庁が置かれてから発展してきた町であり、明治維新までは津軽藩の一漁村に過ぎませんでした。大きな祭りが行われる程の人口ではなかったのです。
明治維新後の廃藩置県で県庁が置かれたのは、その地方の中心地であった城下町や、商業的に栄えた港町・宿場町などでした。そのいずれでもない青森市に県庁が置かれたのは異例ともいえます。次回はその歴史について振り返ってみましょう。

 

(原作:医学博士  武藤政春)

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