清盛に影響を与えた?平忠盛の目

  • 2018.03.04 Sunday
  • 10:20

清盛に影響を与えた?平忠盛の目

 

 

平氏の武将で平忠盛という人物を知っていますか?平清盛の父にあたる人物です。
 

清盛は有名ですが、その父についてはよく知らないですね。詳しく教えてください。

 

平氏はその祖を天皇家に発するとはいえ、11世紀の頃には高い身分にもついておらず、源氏の隆盛に比べて見る影もない劣勢でした。しかし院政が始まると、院との結びつきによって勢力を盛り返して、院の北面の武士となり、昇殿を許されるようになります。
しかしながら貴族たちからは、成り上がり者として馬鹿にされていたようです。平家物語の一節に「忠盛御前の召に舞はれけるに、人々拍子を替えて、伊勢へいしはすがめなりけり、とぞはやされける」とあります。伊勢産の瓶子(へいし=とっくり)は粗末な作りだから、酒を入れるよりも酢瓶にした方がよいな、とはやされながら、暗に、伊勢の平氏(平忠盛)は「眇(すがめ)」だとこけにされていたのです。

 

 

「眇(すがめ)」とはどういうものですか?

 

片目と解釈される場合と、斜視と解釈される場合があります。恐らく両者とも正しいでしょう。片目がケガか感染症で角膜が白く濁り、結果その目が外斜した、今でいう視力不良性外斜視を意味していたと思われます。 このように忠盛が「すがめ」とそしられながらも耐えて努力していた頃、その子清盛は13歳の若武者でした。

 

 

感な年頃のときに、父親がからかわれ、辛かったでしょうね。

 

大きな屈辱を感じたでしょうし、コンプレックスを抱いたであろうことは大いに考えられます。清盛は、保元平治の乱後、急速に権力の座に登りつめていきますが、彼が目指したのは旧来の貴族的な権力の座でした。思春期にコンプレックスを抱いた高貴な貴族の座を、彼自身が経験してみたかったためのような気がします。武士の本分を忘れた清盛の一族は、やがて源頼朝に滅ぼされてしまうわけです。

 

 

盛の目が「すがめ」でなかったら、清盛は貴族に対して必要以上のコンプレックスを抱かず、その政権も目指す方向が違ったのでしょうか。日本史も少し変わっていたのかもしれないのですね。

 

(原作:医学博士  武藤政春)

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