狂歌に詠まれた「目」

  • 2018.06.06 Wednesday
  • 19:02

狂歌に詠まれた「目」

 

「狂歌」を知っていますか?洒落や風刺をきかせた五・七・五・七・七の短歌です。現在はすたれてしまいましたが、「目」の出てくる狂歌には面白いものがあるのですよ。

 

前、「目」の出てくる川柳についてお話しいただいたことがありましたね。狂歌についても興味深いです。

 

江戸時代の狂歌を見てみましょう。例えばこんなものがあります。

  としどしに目も弱りゆき歯もかくる

  古鋸(ふるのこぎり)のひきてなき身は

「ひきてなき」は「引く手あまた」の反対です。古くなった鋸は目も弱り歯も欠け、誰も引いてはくれないのと同じように、若い頃はあれ程言い寄る男が多かったのに、年をとり目も弱り歯も欠けるようになったこの頃は誰も声をかけてくれないという狂歌らしい題材です。

  福徳の宝と思へのらむすこ

  いつも親父にもらふ目の玉

大目玉をくれる親父も最近は少なくなってきたようですね。

 

かなか面白いですね。他にはどのようなものがあるのでしょうか。

 

狂歌には恋の歌も多いようです。

  こはごはも人の見る目をぬき足に

  ふみそめてけり恋の道芝

これは初恋を詠んだ歌ですね。「目をぬき」というのは、人の目をくらませることで、「抜き足」にかかるかけ言葉になっています。

目の病気が登場する狂歌もあります。

  「目をやめる人をみ侍りて」

  うば玉のやみ目は空にしられねど

  うたかたは星かたかたは雲

「うば玉の」というのは黒、夜、夢、闇にかかる枕詞です。闇、空、雲という縁語を使って、目の病気の人を見舞に行ったら、ある人達は目の星で、ある人達は目の雲で入院していた、と詠んでいるのです。この頃から目の病人も入院していたらしいことがうかがえますね。

目星というのは今でいう角膜感染症のことで、目の雲とは翼状片のことでしょうか。

 

柳などは現在でも愛好者が多いですが、狂歌がすたれてしまったのは何故でしょう。

 

庶民の文学となった川柳に対して、狂歌は古典和歌の伝統を負っており、より文学的素養が必要な分だけ難解なのでしょう。狂歌では、縁語、かけ言葉、本歌取りといった古典和歌の技巧が駆使されており、古典和歌の素養が必要とされるのです。

しかしながら難解なものだけではなく、狂歌にもそれなりの良さがあります。今はすたれてしまっていますが、狂歌の良さが再認識されてもいいのではと思います。

 

(原作:医学博士 武藤政春)

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