作者は「神目」を「睨み」あるいは「見張り」と考えていますが、
そう考えると連想されるのは、「王の目」「王の耳」です。
これは、紀元前5世紀頃に、イラン高原を支配したペルシャ帝国が
地方官(サトラップ)を監視する為に「王の目」「王の耳」と呼ばれる監督官を地方に派遣していた制度です。
『世界史の窓』より引用
古代日本に存在した「神目」は、
ペルシャ帝国における「王の目」「王の耳」のようなものだったのでしょう。
古代、ペルシャ人は日本にも来ていたようですので、
そもそも「神目」の制度や概念というものは、
ペルシャ人から教わって導入したものだったのかも知れません。
「神目」の読みとしては、
「カンノメ」「コウメ」あるいは「カンメ」と読まれますが、
「コウメ」「カンメ」と言うとついつい
「コウベ⇒神戸」「カンベ⇒神戸」という語呂が口をついて出てきます。
例えば、
余戸(アマリベ=愛媛県・宮城県など)
余目(アマルメ=山形県)
余部(アマルベ=兵庫県)
など、日本語において「メ」と「ベ」は転化し易いものです。
この地名は、
古代の律令にて、当時の行政単位として家々を50戸ごとに「里」を作り、
それに満たない家を余りとして記録していたことに由来します。
それが、当時の人々のやり取りの中で訛りも相まって、
口伝も漢字も変化していったものと推察できます。
日本には「神戸」という地名が30ヶ所以上、存在します。
その内の大部分は神社の封戸であったが故に
「神戸」と名付けられたのだろうと思われます。
しかし中には、
「神目」から「神戸」に転化したものもあるかも知れません。
そこで駅名にも使われている以下の5ヶ所の「神戸」について
「神目」の可能性がないかどうか考えて見ました。
?神戸 (コウベ=東海道線) ⇒ 須磨の関が近くにある
?伊賀神戸 (イガカンベ=近鉄) ⇒ 島ヶ原関が近くにある
?神戸 (ゴウド=わたらせ渓谷) ⇒ 五料関が近くにある
?広神戸 (ヒロゴウド=養老線)
?北神戸 (キタゴウド=養老線) ⇒ 不破関が近くにある
関所というのは古来「睨み」を効かせたり「見張る」為の場所、
即ち「神目」の場所です。
したがって上記5ヶ所の「神戸」は、
元来は「神目」だった可能性があるのではないかと感じました。
あなたも、ご興味がありましたら、
『百目鬼の謎』〜目のつく地名の古代史〜 (藤井耕一郎・草思社文庫)
ぜひご一読ください。
今回、3回シリーズでお伝えした『目のつく地名』というキーワードから、
日本神話、世界史、そして現在の日本各地の地名の由来など
時空を超えて、いろんな角度からそのつながりに想いを馳せることができ、
古代の人々が見ていた様々な風景を少し味わえたような気持ちになりました。
(原文:医学博士 武藤政春)
作者は、
弥生時代(紀元前10世紀から紀元後3世紀中頃)か古墳時代(〜7世紀)に、
吉備国(岡山県と広島県東部)が、出雲国(島根県東部)を攻めて
支配下においたと考えているようです。
そして、その勢いに乗って吉備国は、
九州や近畿、東日本までも征服して行ったのではないかと考えているようです。
上記の仮説に対して小生は、
前半部分は同感に思いますが、後半部分は首肯しかねます。
弥生時代から古墳時代にかけて、日本は、
筑紫国(福岡)、出雲国(島根)、吉備国(岡山、広島)、大和国(奈良)、
毛野国(群馬、栃木)、越国(福井、石川、富山、新潟、山形)
などの有力な地方勢力が勃興して乱立し、時には相争っていたと思われます。
これら有力地方勢力の中から、吉備国が一歩抜け出して他国を支配下に置き、
日本を緩やかに統一して行ったのではないかと作者は考えているようです。
しかし小生は、日本を緩やかに統一し首長国連邦のように纏めて行ったのは、
吉備国ではなく大和国なのではないかと思っています。
そう考える理由は2つあります。
1つは、後年、吉備国は4つに分割されましたが、
異議を唱えず大人しく受け入れたこと。
もう1つは、桃太郎伝説の存在です。
7世紀以降、日本をほぼ統一したヤマト朝廷により、
律令制度に基づく国郡里制が定められて行きました。
その際、大きな国は幾つかに分割されました。
筑紫国は、筑前と筑後に、
毛野国は、上野と下野に、
越国は、越前、越中、越後に。
そして吉備国は何と、
備前、備中、備後、美作の4つに分割されてしまいました。
EC-Education.japanより引用
もしもヤマト朝廷の母体が吉備国だったとしたら、
故郷の地をこんなにもズタズタに切り裂くようなことはしないはずだと思います。
吉備国の歴史を今に伝える吉備津神社社記に
「孝霊天皇の命令により朝廷から派遣された皇子・吉備津彦命は、
鬼ノ城を根城にして暴れ回っていた温羅(ウラ)を退治して、
この地に平安をもたらした」
という記載が残されているようです。
これは桃太郎伝説の元になった話ですが、
ヤマト朝廷によって、吉備国が平定された事実を記録したものと
読み取ることもできます。
吉備国が日本を平定したのでなければ、
なぜ吉備国に特徴的であったはずの「神目」などが
全国的に分布しているのだということになりますが、
良いものは他国の物でも取り入れようと、
ヤマト朝廷が仕組みの中に取り込んで行ったものだと思います。
Wikipediaより引用
(原文:医学博士 武藤政春)
『百目鬼の謎』(藤井耕一郎・草思社文庫)
私と同じ『見る』ことを仕事にしている友人から「面白いよ」と薦められ、 『百目鬼の謎』〜目のつく地名の古代史〜を、読んでみましたので、 感想と私の考察を少々。
奈良県明日香村で高松塚古墳の壁画が発見されておよそ五十年。その後も稲荷山古墳の鉄剣銘文や荒神谷遺跡の膨大な銅剣など“百年に一度の大発見”が相次いだにもかかわらず、古代国家の起源は今なお真相が明らかにされていない。本書は「目」のつく地名に着目し、初めて列島が統一された時代に特異な役割を果たした呪術的な「にらみ」を解明。邪馬台国の成立と、ヤマト政権につながる地理的な情勢を重ね合わせ、政権の中心となった勢力を浮き彫りにする。(amazonより引用) |
古事記などに出て来る神話の「国譲り」。
この本の作者は、
天津神(アマツカミ)は、吉備国(岡山県と広島県東部)のことで、
国津神(クニツカミ)は、出雲国(島根県東部)のことと考え、
国譲り神話とは、この二つの地域が争い、
吉備国が、出雲国を支配下に置いたものだと考えているようです。
この仮説に小生は「なるほど、ごもっとも」と思いました。
紀元1世紀頃は、日本は各地に地方勢力が勃興し相争っていた頃。
山陰地方では出雲国が、因幡、伯耆、出雲、石見の諸地方を支配下に治め、
山陽地方では吉備国が、播磨、備前、備中、美作、備後、安芸などを
支配下に置いていたのだと思います。
そんな地方勢力の内、圧倒的に優勢な勢力を誇っていたのが 吉備国だったと思います。
理由は、以下の諸要素により他国を凌駕する強国だったと思うからです。
?肥沃な土地のお陰で、豊かな農作物に恵まれていた。
?瀬戸内の海上交通の要衝にあり交易に適していた。
?海産物に恵まれており、また製塩技術を開発していた。
?たたら製鉄技術を開発し、鉄製の武器を作成していた。
以上により吉備国は、 恐らく簡単に出雲国を屈服させてしまったのかもしれません。
出雲国の荒神谷遺跡からは、
大量の銅剣、銅矛、銅鐸が発見されています。
Wikipediaより引用
これなど、
無条件降伏させられた出雲国が武装解除をさせられた証拠のような気がします。
(原文:医学博士 武藤政春)
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『長恨歌』を知っていますか?白楽天が唐の玄宗皇帝と楊貴妃の運命を悲恋物語として漢詩に謳いあげたものです。『長恨歌』中の楊貴妃の言葉「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝となって〜」という一節があります。私はここで網膜剥離という眼の病気を連想します。
『長恨歌』は『源氏物語』にも影響を与えた長篇の漢詩ですね。「比翼の鳥、連理の枝」は切っても切れない仲の例えとして使われるかと思いますが。
比翼の鳥というのは、胴体が二つで翼が二つしかなく、二鳥共翼で飛ぶと考えられていた空想の動物です。連理の枝というのは、根は二つで幹は合体し一つとなった樹のことです。
網膜剥離は、網膜が色素上皮・脈絡膜と剥離してしまう病気ですが、まさにこれは切っても切れない関係にある組織なのです。
色素上皮・脈絡膜というのは聞きなれない言葉ですが、どのような役割を持つのですか?
脈絡膜というのは、血管が網目のように張り巡らされている組織で、常に大量の血液が流れていて、網膜を支える重要な役割を二つ持っています。
一つは車でいうとラジエーター(冷却装置)のような役割です。人が目を開けて物を見ると、外界からの光が網膜で焦点を結びます。虫眼鏡で太陽光を集めるように、この部分は熱を持ってしまうのですが、網膜が焦げないように冷却装置の役割を果たすというわけです。
もう一つの役割は、網膜の視細胞への栄養補給です。眼の網膜は日中の十数時間に及ぶ連続使用に耐えていくため、視細胞の旺盛な新陳代謝が必要です。色素上皮・脈絡膜が、その速やかな新陳代謝を手助けしています。
網膜から脈絡膜・色素上皮が離れてしまったら、視細胞は活躍することが出来ませんね。
まさに比翼の鳥というべき存在です。網膜剥離はかつて不治の病でしたが、1921年ローザンヌ大学のゴナン教授が手術方法を発表し、その後も彼の手術方法に様々な改良が施された結果、現在は70〜90%位は治癒が期待できるようになっています。
とはいえ、やはり早期発見が大切です。視野の一部が暗くなってきたりしたら、速やかに眼科医のもとにかけつけてほしいですね(かけつけるといっても本当にかけたりしないで、できるだけ静かに)。
(原作:医学博士 武藤政春)
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最近はおしゃれなデザインの子ども用のメガネが増えましたね。大人のような流行のデザインを探している女の子とお母さんを見かけましたよ。
小学校の高学年くらいから近視のお子さんも増えてきますね。メガネをかけずに頑張ってしまう子もいますが、黒板の字が見えないまま頑張っていると、特に理科系の教科の成績が落ちやすいというデータもあります。見かけを考えて躊躇して、知らず知らず知的発育を妨げてしまうのは好ましくないでしょう。魅力的なデザインのメガネが増えて、前向きにメガネを装用してもらえるのはいいことですね。
小学生の中〜高学年頃は、精神的にもデリケートな時期ですね。親御さんも気を遣うことが多いでしょう。
親子で多少意見がぶつかり合うくらいは成長の過程かもしれませんが、ただ、小児によく見られる心因性視力低下のような心配なケースもあります。精神的ストレスが鬱々と内向し、それを上手に発散できない小児の場合、視力が低下してしまうものを言います。この場合、眼底など眼の中をいくら検査しても病気は見当たりませんが、視野検査で心因性のものに特徴的なデータが検出されるようです。
ストレスに上手く対応できない子どもならではの症状でしょうか。
ストレスがあったとしても、大多数の子ども達は、それなりに上手に発散させています。ストレスの発散が苦手な子ども達は家庭や学校で乱暴な態度をとったりしてストレスを発散させたりする場合もあります。そして残る極く少数が、ストレスを全く発散させることができない子ども達です。自分一人の胸の内にストレスを抱え込み、やがて「眼が見えなくなる」という形で心の病が外に顕れてくるようになります。
かわいそうなことですね。そのような心因性の視力低下は治りますか。
原因となるストレスが解消されれば、程なく良好な視力を回復できます。「眼は心の窓」といいますが、単に感情が表れるというだけでなく、視力の低下で心の病いを訴えることもあるということですね。子ども達の眼に対して、周りの大人達は充分な注意を払っていたいものです。
(原作:医学博士 武藤政春)
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先日視力測定を受けたら、近視の度が進んでしまったようです。そういえばムトウ先生、動物の目に近視や遠視はあるのでしょうか?
遠視に関していえば、サメやエイなどの軟骨魚類、哺乳類ではカンガルーやモグラ、ネズミ、コウモリなどが強度の遠視の目を持っています。こうした動物に共通しているのは、いずれも皆視力があまりよくないことです。
そもそも遠視の目は、目の屈折力に対して眼軸の長さが短い目であり、ある意味では発育不良の目とも言えますね。
そうなのですね。人間も、生まれたばかりの頃は遠視なのだと聞いたことがあります。これもつまり目が未発達ということなのでしょうか。
人間は成長して視力も発達するに従って眼軸長が長くなり、およそ7〜8歳頃に正視になることが多いと考えられています。そこで生まれつき強い遠視の場合には、メガネなどで早くから矯正し、視力を良好に発達させれば正視化が早くなります。つまり、よく見える状態にしておけば、眼球が適度に発育して正視になっていくわけです。
しかしサメやエイ、カンガルーやモグラなどの強度の遠視の動物で、ほとんど視力がないものは、物をはっきり見ることがないので、正視化を促す眼球の発育も起こりません。ですから、発育不良ともいえる強度遠視のままにとどまっていると考えられます。
近視の方はどうですか?近視の動物もいるのでしょうか。
野生の状態では、近視の動物はそれほど多くありません。硬骨魚類は一般的に近視ですね。魚は薄暗い水中で活動していますから、遠方を見ようと思ってもなかなか見えません。自分の近くしか見えない環境で生活しているので、近くがよく見える近視の方が好都合といえるでしょう。
ウサギやブタなどは、野生状態ではほぼ正視ですが、家畜として飼われていると、近視であるものが多いといわれています。狭い囲いの中で生活していると、自然と近くばかりを見ることが多くなり、これが近視の原因になると考えられています。
薄暗い所で生活している魚や、近くばかりを見ている家畜が近視なのですね。人間も同じでしょうか。薄暗い所で近くばかりを見ているような生活には気を付けなくてはなりませんね。
(原作:医学博士 武藤政春)
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ムトウ先生、動物公園でウサギを見てきたのですが、人が後ろから近づいてもすぐに逃げてしまいますね。後ろに眼があるかのようです。
ウサギはほぼ360度の視界を持っています。つまり自分の周り全周が常に見えているといい、敵に追いかけられたときには真後ろの敵を見ながら逃げると言います。まさに背中に眼があるようなものですね。
ウサギだけでなく、ウマ、リスなども360度の視界を持っています。ウマの章でもお話ししましたが、競馬の場合は却って広く見えていると、観客席の騒ぎなどで気が散ってしまい不都合です。そのため、競馬の際には前方だけが見えるような遮蔽板をつけて走ります。
360度見えるというのはすごいことですね。それは眼の位置が関係するのでしょうか。
ヒトの眼は顔の前面に並んでおり、両眼の視線の方向はほぼ平行です。これに対して、ウサギの眼は顔の側面についており、右眼と左眼の視線の方向はほぼ背中合わせに近いものです。しかしながら、両眼視している部分は狭いので、立体感や距離感は悪いはずです。
一方、肉食動物であるライオン、クマ、タカなどの肉食動物は、両眼軸のなす角が小さく、視界は狭くなっています。
草食動物と肉食動物では、見え方や視界が異なるのですか。
肉食動物は視界が狭いのに対して、草食動物は広い視界を持っています。肉食動物は他の動物を見つけて捕らえなければならず、そのためには自分の正面がよりはっきりと見える必要があります。一方、草食動物は肉食動物から逃げなければならず、そのためにはどこから敵が来てもすぐわかる必要があります。
動物たちの視界の広さが、必要性に非常に適応した形になっているとは驚きです。
そういえば、動物園で人気の高いパンダは、数千年前までは中国大陸においてあたかも百獣の王のようにふるまっていた肉食動物でした。それがトラに駆逐され、次第に高山へと追いやられ、食用になる動物が十分に得られなくなったためにやむなくササの葉などを食べるようになりました。パンダが肉食動物であった名残りはその眼に残っています。ササの葉ばかり食べていても、その眼は草食動物の眼ではなく、両眼軸のなす角が小さく視野が狭い肉食動物の眼をしています。
(原作:医学博士 武藤政春)
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ムトウ先生、これまでに数多くの動物の眼についてお話しいただきましたが、私たち人間の眼についてはどうでしょう。他の動物にはない特徴はあるのでしょうか。
視覚のある意味での鋭敏さという点では、ヒトの眼はタカ、ウ、ツバメなどの鳥類、カメレオンなどに劣ります。ただヒトの眼には他の動物にはない大きな特徴を2つ持っています。まずひとつは共同性の眼球運動がすぐれており、特に“より目”が出来ることです。もうひとつは視覚による想像力が豊かなことです。
より目と想像力…それはどのように役に立つのでしょうか。
より目が出来るということは、遠方だけでなく近方も両眼視して立体的に見ることが出来るということを意味しています。視覚による想像力が豊かであるということは、たとえばマンガや絵画を見て、あたかも実物を見ているのと同様に状況を把握できるということであり、人類が文字を生み出すことができた所以です。
この2つの眼の特性が、人類が他の動物を凌駕し地球を支配するようになった大きな要因となっています。
力が強いとはいえない人類が地球を支配するようになったのは、他の動物以上の知恵が与えられていたから、とも言われますね。
決してそれだけではなく、ヒトだけが持つ解剖学的な特性と眼の特性によるところが大きかったのです。少し説明していきましょう。
解剖学的にヒトが他の哺乳動物と異なる点は、直立歩行、オトガイ(下顎)の発達、表情筋があることの3点と言われています。
直立歩行によって上肢(手)を自由に使うことが出来るようになり、より目ができることで手先の仕事を容易になり、火や道具の発明や使用を可能にしていったはずです。また、オトガイの発達により複雑な発声が可能になり集団の中に言葉が生まれました。そして視覚による想像力が豊かなことが更に文字を生み出すことになり、コミュニケーション手段を一層発達させることになったのです。
知恵だけではなく、ヒトだけが持つ解剖学的および眼の特性が生み出した道具や言語というものが、他の動物を凌駕していく大きな武器になったのですね。
(原作:医学博士 武藤政春)
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前回は伝染性の眼病トラコーマが世界中に広がっていった歴史についてお話しいただきました。その恐ろしいトラコーマが、日本に伝わったのはいつなのでしょうか。
チンギス・ハンの大遠征によって、お隣の中国にはかなり古くからトラコーマがありました。しかし日本には殆ど伝わっていなかったようです。これは日本が島国であったことが幸いしていたようですね。
日本にトラコーマが蔓延するようになるのは、御多分にもれず戦争をきっかけとしてでした。明治27年に起こった日清戦争で、日本の兵士が大挙して中国大陸に渡りましたが、この兵士達がかの地でトラコーマをもらい、これを持ち帰ってから、日本にも猛烈な勢いで伝染するようになったのです。
トラコーマは明治時代に伝わったのですか。やはり日本でも戦争が契機になったのですね。
トラコーマがどれだけ慌しく日本に渡来したのかというのは、その名前をみてもわかります。病気の名前というのは、日本語でも名付けられているのが普通ですが、トラコーマだけは余りにも急速に日本中に蔓延したために、日本語の病名を名付ける暇がなく、唯ラテン語のTrachomaを片仮名にしただけになっています。
Trachomaというのは、ラテン語のtrachys(ざらざらな)+oma(できもの)という意味です。トラコーマは、まぶたの裏の結膜に「つぶつぶ」ができて、眼がゴロゴロと痛むのが特徴であるが、そんな所からこのような名前が名付けられたのでしょう。
恐ろしい眼病のトラコーマですが、現在の日本ではその名を聞くこともありません。
日本において、実際にトラコーマが猛威をふるった期間はわずか50年くらいでした。戦後の抗生物質の開発、公衆衛生の充実によって、日本においてはほぼ撲滅された病気です。
日本人にとって、トラコーマとの戦いはまさに一陣の風のようなものであったわけですが、その印象は今なお強烈なのです。
(原作:医学博士 武藤政春)
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すっかり花粉症にやられてしまって目が痒いです。この時期は辛いですね。
私のところにみえる患者さんたちも随分辛そうですね。しかし正直な所、花粉症の患者さんを相手にしている分には気が楽なのですよ。間違っても失明に繋がる病気ではないからです。少し以前の眼科医が、失明の恐怖に曝された患者さんと共に、トラコーマと戦っていたことを考えれば、ずっといいですよ。
トラコーマについてはあまり知らないのですが、どのような眼の病気なのでしょうか。
トラコーマはトラコーマ病原菌による伝染性の眼の病気で、非常に強い結膜炎を起こし、やがて角膜にも濁りを生ずると失明することもある病気です。戦前の日本では失明原因の第一位を占め、大いに猛威を振るった疾患です。
恐ろしい病気ですね。トラコーマはどのような由来の伝染病なのですか。
トラコーマは元々エジプトやメソポタミア地方の風土病でした。これが8世紀以降、イスラム帝国の成立および、チンギス・ハンの大遠征で西はスペイン・ポルトガル、東は中国まで広がっていったのです。15世紀から16世紀にかけては、スペイン人やポルトガル人の探検家たちによって、新大陸へとトラコーマが伝播されていきました。
そして19世紀、ナポレオンのエジプト遠征により多くの兵士がトラコーマにかかり、彼らの帰国によりイギリス・フランスにもトラコーマが蔓延することになったのです。
トラコーマの伝播には戦争が大きく絡んでいるようですね。
トラコーマにはmilitary ophthlmia(軍隊眼炎)という別名がありますが、まさに言い得て妙ですね。ナポレオンの戦争時、イギリス軍のある大隊では、兵士700人のうち636人がトラコーマにかかり、そのうち両眼失明した者50人、片眼失明した者40人に及んだといわれ、その伝染力のすごさがうかがえます。
本当に恐ろしいことですね…。そのようなトラコーマが日本に伝わった時のことを、次回ぜひお聞かせください。
(原作:医学博士 武藤政春)
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ムトウ先生、わたしは少々出目のようなのですが、目にとって良くないでしょうか。
世の中には、出目の人、奥目の人、そしてちょうどいい人とさまざまいますが、特に悩んだり、気に病む必要はありませんよ。出目の利点は突出している分だけ視野が広くなることであり、奥目のいい点は奥に引っ込んでいる分だけケガをしにくいことです。出目の人は、自分は他の人より広々と見えているのだと思えばいいでしょう。
ヒトはもともとサルと同じように奥目の動物のようですが、脳が発達するにしたがって、脳の容積が増え、その分だけ眼球が前に押し出されて奥目であることが目立たなくなったようです。
動物の場合は、奥目と出目、どちらが多いのでしょうか。
一般的に草食動物はひどい出目、肉食動物は軽い出目、そしてヒトとサルの霊長類だけが奥目のようです。これはそれぞれの目の役割からすると、非常に理にかなっています。
ウサギやウマなどの草食動物は、肉食動物から身を守るために、どの方向から敵が来てもすぐ発見し、逃げなければなりません。草食動物の目は顔の側面について出目なので、ほぼ360度の広い視野を得ています。
肉食動物も出目ということですが、肉食動物にとっての利点は何ですか?
獲物を追いかける側の肉食動物は、自分の前方正面がよりよく見えること、しかもある程度視野が広いことが必要です。ですから、目は顔の前面についていますが、両目は軽い出目で少し斜視のように完全に正面でなくて外を向いています。一般的に動物にとっては、より広い視野を得ることが目の大きな役割です。出目であることは大変好都合なのです。
ヒトは奥目の動物ということですが、その方がヒトにとって好都合なのでしょうか。
私たち霊長類が他の動物と大いに違う点は、上肢(手)が自由に使えることです。手先の仕事をするには手元がよく見えなければなりません。ヒトの目は顔の前面に並んでついていて、手元や正面を両方の目で見るようになっています。広い視野を得ることは目の配置上困難ですから、今さら出目である必要もなく、ケガをしにくい奥目になっているのかもしれませんね。
(原作:医学博士 武藤政春)
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ムトウ先生、動物も白内障などの眼病になったりするのでしょうか?
動物の目もヒトと同じようにありとあらゆる眼病が現れますよ。結膜炎、角膜炎、白内障、緑内障、眼底疾患、各種の先天異常などが代表的なものです。あまり関心が払われないものとして、近視などの屈折異常、斜視、弱視、眼精疲労などがあります。
眼の病気に関してはヒトとあまり変わらないのですね。
そうですね。ただ、動物の目の病気に関しては、ヒトと異なる点が二つあります。一つは喧嘩によるケガが多いことです。もう一つは、病院に来るのが決して患者自身の意志ではなく、飼い主の意向によるということです。ヒトの場合は、痛いとか見にくいとかの自覚症状があれば自ら医者にかかりますが、動物は自覚症状を訴えることはありません。
確かに動物の場合は、外から見てわかる異常がなければ気が付かないかもしれません。
目やにが出て充血する結膜炎や角膜炎、強い充血が起こって瞳が混濁する前部葡萄膜炎、瞳が白くなってくる白内障などが、どうしても目立つようになります。白内障などは、人間ばかりでなく動物の目でもポピュラーな疾患となっていて、手術も盛んに行われています。
逆に眼底疾患や緑内障は視力障害が相当進行しないと飼い主に気付かれません。緑内障で医者に連れられてきたときは、ほとんど失明している場合が多く、動物眼で行われる緑内障手術は、視機能の回復や維持というより、痛みをやわらげたり美容的な意味(眼球の突出を防ぐ)で行われるようです。
動物の眼も人間と同じように手術による治療がされているのですね。
驚くべきことに、動物に対する美容整形手術なども結構盛んに行われているようです。血統書付きの高級ペットほど盛んなようですが、もっと自分のペットを個性的にしようというのでしょうか。すべて飼い主の一存で手術が行われているようです。果たして手術される動物自身は喜んでいるのでしょうか、一度聞いてみたいものです。
(原作:医学博士 武藤政春)
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先日久々に『二十四の瞳』を読み返しました。初めて手に取ったのは随分昔のことになりますが、感動が色褪せることのない作品ですね。
昭和三年、小豆島の小学校の分教場に赴任してきた大石先生と一年生十二人の教え子たちとの物語でしたね。昭和二十七年に発表された二年後に映画化されて空前の大ヒットとなり、海外にも翻訳、紹介されたと聞いています。
英語訳された『二十四の瞳』の題名については、なかなか面白い話があります。今日はその話をしましょう。
英語にそのまま訳すと“Twenty-four pupils”などとなりますでしょうか?
“pupil”には二つの意味があります。一つは「生徒・児童」の意味、もう一つは「瞳・瞳孔」の意味です。もしも先の題名だとすると、「二十四の瞳」か「二十四人の生徒」の意味かはっきり分かりませんね。
以前、丸善の「本の図書館」館長に問い合わせ、教えていただいたところ、“Twenty-four eyes”という題名で、昭和三十二年に英訳出版されたということでした。「二十四の瞳」でなく「二十四の目」では多少文学の薫りが薄れるかもしれませんが、紛らわしいpupilという単語を使うのは避けたようです。
「二十四の目」ですか…確かに随分趣の違う題名になりますね。Pupilにはなぜ「瞳」と「生徒」という紛らわしい二つの意味があるのでしょう。
Pupilの語源は、ラテン語のpupillaです。pupillaという単語は、pupa(少女)、pupus(少年)の指小語(「小さい」を表す接辞のついた単語)で、もともと小さな子どもという意味です。それがなぜ瞳という意味にも使われるようになったかというと、眺める人の小さな像が瞳孔に映って見え、まるでそこに小さな子がいるように見えるからのようです。
翻って見れば、中国語である「瞳」は「目の童」と書きますし、日本語の「ひとみ」は「人見」のことです。発想は洋の東西を問わず同じであるようですね。
(原作:医学博士 武藤政春)
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前回はもし動物が座頭になったら、とうテーマで魚類、鳥類についてお話をいただきました。そして次は哺乳類の場合についてですね。
哺乳類はサルやヒトなどを除いて一般的に視覚よりも聴覚や臭覚のほうが鋭敏です。イヌやネコなどは、臭覚や聴覚が鋭いので、座頭になったとしても、何とかエサを見つけたり、敵から逃れることが可能でしょう。
ゾウも、もともと視覚はあまり鋭敏ではなく、頼りにしているのは鼻なのです。ゾウは、5キロメートル先の臭いを感じるという大変な鼻の持ち主です。
ゾウの鼻は大きいばかりでなく、大変優れた感覚器官なのですね。
モグラやクジラなども座頭になったとしても生存するのに大きな影響はないと考えられます。もともと視覚を頼りに生きているわけではないからです。モグラは臭覚を、クジラは聴覚を頼りにしていて、視覚はほとんどありません。
視・聴・臭の感覚の重要度が、それぞれ異なっていますが、哺乳類は意外に視覚に頼っていない動物が多く、座頭になっても生きていける場合が多いようです。
近所に失明に近い状態のイヌがいますが、時々柱に頭をぶつけているそうです。優れた臭覚でエサのありかはわかっても、障害物の所在は判断できないのでしょうね。
そうですね。しかし座頭になっても障害物を巧みによけて運動できる器用な動物もいます。コウモリは自ら超音波を発信し、障害物やエサなどに当ってはね返ってくる反射音波を聞きながら運動しています。イルカも同様の超音波を発信して運動しています。
また、魚は体の両側にある側線器によって、障害物をよけて運動することができます。この側線器は、わずかな水の振動によって水の流れの方向や速さ、水深、水中の物体の存在と距離などを測定感覚できるようになっています。魚は目が見えなくても障害物の存在を知ることができるのです。
コウモリやイルカ、魚たちは、仕込み杖に頼って歩く座頭市よりも感覚という点では一枚上手のようですね!
(原作:医学博士 武藤政春)
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ムトウ先生、ザトウクジラというクジラがいますが、「座頭」と言うからには目が見えていないということなのでしょうか。
「座頭」は江戸期における盲人の階級の一つですね。一昔前には、『座頭市物語』という映画が一世を風靡したこともあります。
ザトウクジラはヒゲクジラの一種ですが、遊泳速度が遅いので目が見えないと連想され、この名がつけられたそうですよ。もともとクジラはあまり目が働いていませんが、ほかのクジラが俊敏であるのにザトウクジラだけがもたもた動くので、目が不自由であるように考えられたのです。
目が見えていないということではないのですね。座頭市は、目の不自由な主人公が活躍する物語でしたが、もしも動物が座頭になったらどうなるのでしょうか?
まず魚類の場合はどうでしょう。この疑問に答える興味深い事実があります。あるとき漁師が海で盲目のタラを釣り上げたことがありました。腹を切り開いたところ、胃には食物がいっぱいだったそうです。つまりタラは目が見えなくてもエサをあさることができたのです。このことを知った人が実験を行った結果、魚は視覚よりも臭覚を使ってエサを捕らえることがわかりました。
両生類や爬虫類も臭覚が鋭いので、座頭になったとしても何とか生き延びられるかもしれません。しかし、トカゲやカメレオンなどは、もっぱら視覚を頼りに行動していますから、生き残ることは難しいでしょう。
鳥類はどうでしょうか。空を飛ぶためには優れた視力は欠かせないように思いますが。
鳥類は聴覚や臭覚も非常に鋭敏であると考えられていますが、大空を自由に飛び回るためには、鋭い視力が必要ですね。昼行性の鳥が座頭になったら命も危ういでしょう。
鳥は鳥でも夜行性の鳥は別です。あるとき白内障におかされた盲目のフクロウが発見されましたが、そのフクロウは痩せるどころかよく太っていたそうです。その秘密は聴覚にあります。フクロウの聴覚は、昼行性の鳥類の数倍も鋭敏であることが知られています。フクロウもまた、座頭になったとしてもあまり困ることはないと思われます。
優れた聴力が視力を補って余りあるのですね。では次回、哺乳類の場合についてもぜひお話を聞かせてください。
(原作:医学博士 武藤政春)
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