検眼鏡の発明 〜眼は体の窓(2)〜

  • 2017.01.29 Sunday
  • 10:16

検眼鏡の発明 〜眼は体の窓(2)〜

 


回は眼の検査で全身疾患が見つかるというお話でした。そのような検査を可能にした検眼鏡は、いつ出来たのでしょうか。

 

検眼鏡は1850年、ドイツのヘルマン・ヘルムホルツによって発明されました。各大学の教授を歴任したヘルムホルツは多大な業績を残していますが、人類にとって最も大きく貢献してくれたのは、おそらく検眼鏡の発明だと思われます。 眼の中は暗いのでのぞけませんし、眼の前に灯りを持ってきても、まぶしいだけで中は見えません。長らく人類にとって、眼底をのぞき見るということは不可能だったのです。

 

 

のようにして、眼底をのぞくことを可能にしたのですか?

 

ヘルムホルツの考案した検眼鏡の原理は、言われてみれば簡単なものでした。それを最初に考えついたということが大きな価値を持つわけです。

彼は、眼底を照射するための光源を下方に置きました。そして、検者と被検者の間にガラス板を斜めに置きました。ガラス板を斜めに置くことによって、下からくる光は半分はまっすぐガラス板を透過しますが、半分はガラス板で反射し被検者の眼に入ります。そして被検者の眼底で反射した光は、半分はガラス板で反射し光源側に戻りますが、半分はまっすぐ透過して検者の眼に入ります。 この方法により、まぶしくなく眼底を観察することが出来たのです。

 

 

るほど。ヘルムホルツの発明により、眼科学も大きく進歩したのでしょうね。

 

ヘルムホルツが発明した検眼鏡を精力的に使用して、眼科学に取り組み多大な業績を残したのはフォン・グレーフェという人物です。彼は近代眼科学の祖と謳われています。 ヘルムホルツの検眼鏡に関する論文を知ったグレーフェは、この新しい器械を使って次々に多くの不明の病気を解明していきました。

それまでは、何やらわけがわからない内に眼が見えなくなってしまうものであった眼の中の病気を、彼は眼底を熱心にのぞき見ることによって、分類、解明していったのです。

 

 

ルムホルツにより考案され、グレーフェによって活用された検眼鏡が、まさに「眼は体の窓」たらしめてくれたのですね!

 

(原作:医学博士  武藤政春)

  • 0
    • -
    • -
    • -

    眼の検査で体の病気を発見? 〜眼は体の窓(1)〜

    • 2017.01.24 Tuesday
    • 14:47

    眼の検査で体の病気を発見? 〜 眼は体の窓(1)〜

     


    近、頭痛がするので困っています。目から頭痛が起こることもあると聞いたのですが、調べた方がいいでしょうか。

     

    そうですね。さまざまな疾患が、眼の検査によって発見されることは稀ではありません。脳腫瘍、高血圧症、結核、糖尿病などの全身疾患で、眼にも病変が出現してくるからです。時として眼は、体の病気をのぞき見る窓口、つまり「眼は体の窓」ともなるのですね。

     

     

    の病気が、眼の検査でどのようにわかるのですか?

     

    頭痛を訴えて受診した患者さんの眼底検査をしたところ、眼底の視神経に腫れが発見されたという例があります。視神経の腫れというのは、脳腫瘍の時などによく出現してくる症状なのです。また、同じく頭痛を訴えて受診した患者さんの眼底検査で、高血圧に特徴的な血管変化が見られたこともあります。

    どちらの患者さんも適切な診療科に紹介され、検査・治療を受けることが出来ました。

     

     

    底検査というのはすごいものなのですね。

     

    臨床症状では判断が難しいケースを、眼底検査で明らかにすることもあります。

    急性髄膜炎で内科に緊急入院した患者さんがいましたが、すみやかに適切な治療を開始しなければならない状態でした。しかし、臨床症状ではビールス性髄膜炎なのか、結核性髄膜炎なのか判断が難しく、血液検査では確定診断まで数日を要します。そこで眼科医による眼底検査をしたところ、眼底に、結核に特有の腫瘍が発見されました。これは結核性のものと判断され治療をすぐに開始することが出来たのです。

    眼、特に眼底は全身の縮図であると言われます。眼底をのぞくことによって、全身の状態、全身疾患などを垣間見ることが出来るのですからね。

     

     

    底をのぞくという検査はいつごろから行われるようになったのでしょう?

     

    ただのぞいても、眼の中は暗くてよく見えません。検眼鏡の発明により、それが可能になったのです。次回は検眼鏡の発明についてお話しすることにしましょう。

     

    (原作:医学博士  武藤政春)

    • 0
      • -
      • -
      • -

      実は視力が悪い?サメの目

      • 2017.01.15 Sunday
      • 11:28

      実は視力が悪い?サメの目

       

      トウ先生、水族館でサメを見てきましたよ。あの小さな鋭い目が怖いですね。サメもタカのように優れた視力で獲物を捕らえるのでしょうか。

       

      サメと一口に言っても、ジンベイザメやウバザメのように、体は大きくてもおだやかで小魚やエビを食べているものから、アオザメやヨシキリザメのように、気が荒く自分より大きな鯨を襲ったり、ヒトを襲うサメまでいます。しかし、どう猛なサメがタカやワシのように鋭い目と優れた視力を持っているかというと、そうでもないのですよ。

      先にサメの分類から説明しましょう。サメは軟骨魚類と呼ばれ、骨格が軟骨でできています。硬骨魚類である他の魚とは区別されます。サメの目.png

       

       

      骨魚類というのは初めて知りました。どのような特徴があるのですか?

       

      まず目の大きさですが、軟骨魚類は体のわりに小さい目をしています。そして一般的には、小さい目の方が性能的には劣ります。

      目の構造も、硬骨魚類のように機能分化が進んでいません。硬骨魚類はヒトのように中心野・中心窩を持っていますが、サメのような軟骨魚類にはありません。ですから軟骨魚類は硬骨魚類に比べて視力がかなり劣ります。

      さらに、硬骨魚類の目は水中で軽い近視になっていて近くがよく見えますが、軟骨魚類の目は強度の遠視になっています。ヒトの目も、強度の遠視は弱視になってしまいますから、ヒトよりも未熟なサメの目は、きっと随分劣った視力なのでしょう。

       

       

      外にもサメの目はあまりよく見えないのですね…。視力があてにならないとすると、サメは何を頼りに獲物を探し、捕らえているのでしょうか。

       

      臭いです。一般的に魚類は、脳の中で臭いの中枢である臭葉の占める割合が大きいのですが、サメの臭葉はとりわけ巨大です。おそらくサメは、臭覚を一番頼りに行動しているのでしょう。とりわけ血の臭いには敏感で、傷ついた魚がいると、どこからともなくサメが集まってきます。

      最近は南太平洋の島々に行き、スキューバダイビングを楽しむ人も大勢いますね。血の臭いがすると、当人も周囲の人も危険にさらしてしまいますから、そこは注意してほしいものです。

       

      (原作:医学博士  武藤政春)

      • 0
        • -
        • -
        • -

        紀元前から行われていた目の手術〜白内障手術法のひろがり〜

        • 2017.01.10 Tuesday
        • 15:34

        紀元前から行われていた目の手術〜白内障手術法のひろがり〜

         

        トウ先生、今は手術によって様々な眼の病気が治るようになりましたね。

         

        斜視、緑内障、網膜剥離など、昔は治らなかったであろう色々な病気が、手術によって治癒が期待できるようになりました。斜視の手術が初めて行われたのは1838年のベルリン大学、緑内障に対する手術療法は1857年のドイツ、網膜剥離の手術は1921年のスイスで行われたのが最初です。こうして見ると、近年の医学の発達は素晴らしいですね。

         

         

        前、白内障の手術が紀元前から行われていたことをお話しいただきましたね。白内障の手術だけ歴史が長いのですか?

         

        確かに白内障の手術だけは歴史が長く、紀元前5〜6世紀の古代インドの医書の中にも、白内障手術法に関する具体的な記載があります。また、ローマ時代の文献に、紀元前3世紀〜紀元前後のエジプト、ローマでの白内障手術の記載が残っています。

        インドで行われていた白内障手術が、アレクサンダー大王のインド遠征(紀元前327年)によって西方に持ち帰られ、エジプト、ギリシャ、ローマへと伝わっていったのではないかというのが有力な説です。

        しかし、紀元前18世紀頃のバビロニアのハンムラビ法典の中に、白内障の手術と考えられる手術についての記載がありますので、実際にはこの頃から行われていたと考えられます。

         

         

        代バビロニアで行われていた手術がインドへと伝わっていったということでしょうか。

         

        双方に大きな交流があった証拠はなく、それぞれかなり古くから行われていたと考える方が妥当かもしれません。あるいは、紀元前に中央アジアからインド、ペルシャ、バビロニアへと文明を拡大させていったアーリア人が関わっていたとも考えられます。ともあれ、白内障の手術が紀元前から各地で行われていたことには驚かされますね。

         

         

        心窩とはどのようなものですか。

         

        動物の目の視力の良し悪しは、網膜の機能がどの程度分化しているかによって決まります。網膜に映った像を脳に伝えるのは視神経繊維ですが、視神経繊維が集中し解析力に優れている部分を「網膜中心野」といい、より高度に機能集中されているものを「網膜中心窩」といいます。タカには、この中心窩が2つずつあります。耳側の中心窩で前方を、鼻側の中心窩で側方をはっきりと見ることが出来るのです。また、中心窩の位置が少し上寄りなので、高い位置から下方が広く見えるようになっています。

         

         

        本でも古くから手術が行われていたのでしょうか。

         

        シルクロードを介して、唐時代に中国に伝えられた白内障手術法は、ほぼ即座に日本にもたらされました。中国の医書に白内障手術の記載が出てくるのは752年のことですが、日本では、最古の医書『医心方』(982年)に白内障手術についての記載が見られます。日本においても、平安時代の昔から白内障の手術が行われていたということですね。

         

        (原作:医学博士  武藤政春)

        • 0
          • -
          • -
          • -