目なしダルマの起源 〜眼は人間のまなこなり(2)〜

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 15:05

目なしダルマの起源 〜眼は人間のまなこなり(2)〜

 


回は、ダルマの目入れに使われる「目なしダルマ」が、江戸後期に登場したところまでお話しいただきました。

 

「目なしダルマ」が登場したのは養蚕が盛んであった上州高崎です。これは養蚕のあがり(カイコをむしろに移しマユが取れるようになる段階)にちなんで、起き上がりダルマが養蚕の豊作を願う縁起物として求められるようになったためです。

正月のダルマ市で目なしダルマを求め、養蚕の豊作のあかつきには、翌年のダルマ市にお礼参りをし、眼を書き入れてもらうという風習が上州を中心に広がっていきました。そしてこの風習はいつしか養蚕に限らず、全ての願い事に対して行われるようになっていったのです。

 

 

はり眼というものは魂の宿る所とされていたということですね。魂の宿る所とは、現代風に考えれば脳でしょうか。

 

脊椎動物の眼は、脳の一部が突出した部分から形成されてきます。発生学的見地からいえば、眼は脳の一部であると言えます。しかし我々の眼には情報処理機構は存在せず、感覚受容器官にしか過ぎないので、機能的には脳の一部であるとはいえません。ところが、我々日本人は、機能的にも眼が脳の一部であるかのように認識してきたようです。

 

 

の一部であるように認識ですか…例えばどのようなことでしょうか。

 

例えば「あの情景がいつまでも瞼の裏に焼きついている」などという言い方をしますが、これは正しくは「あの情景がいつまでも脳皮質の記憶領域に記憶として残っている」と言うべきでしょう。また「あんな人のことは眼中にありません」などという言い方もしますが、これも正しくは「あんな人の情報は私の脳の意識中枢の中に少しも組み込まれておりません」と言うべきでしょうね。

これらの言い回しは、眼をあたかも脳の一部であるかの如く擬して考えたために出てきたのだろうと思います。

 

 

ごろ何気なく使っている言葉ですが、あらためて、私たちの眼に対する考え方に気付かされますね。

 

(原作:医学博士  武藤政春)

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    眼は魂の宿る場所? 〜眼は人間のまなこなり(1)〜

    • 2017.03.24 Friday
    • 13:30

    眼は魂の宿る場所? 〜眼は人間のまなこなり(1)〜

     


    トウ先生、落語で「眼は人間のまなこなりと申しますが」と言うのを聞いたのですが、「まなこ」とはそのまま「眼」のことではないでしょうか?

     

    確かにまなことは、元々眼を意味する言葉ですね。眼というものが非常に大切なものであるという認識から、まなこは「一番肝心なもの、一番大切なもの」というニュアンスで使われることもあったようです。

     

     

    るほど、この文句では「眼というのは人間にとってまなこのように一番大切なところです」と言い重ねたところにおかしさがあるというわけですね。

     

    東洋人は眼に対して、一番大切な所、魂の宿る所、脳の一部であるという独特な感慨を持って認識してきたようです。

    その証拠としては、開眼供養という儀式があります。仏像が落成する時に最後に眼に手を加えて仏像を完成させる儀式であり、仏像に魂を注入するという意味を持っています。

    また、画竜点睛という言葉があります。中国の画家が龍の絵を描き、最後に睛(ひとみ)を画き入れた所、その龍が天に飛び立ったという故事による言葉です。大切な所に手を加えて物事を完成するたとえに使われますね。

     

     

    は魂の宿る所という認識が根底にあったからこそ、このような故事があるのでしょうね。

     

    もう一つ、よい例をあげましょう。現代でもよく目にするダルマの目入れです。選挙の季節となると、当選を果たした候補者がダルマに目を入れている光景を見かけますね。このダルマの目入れの起源を見てみましょう。

    起き上がりダルマの元は中国の「不倒翁」です。これが室町時代に日本に伝来し、日本では小法師のデザインで専ら作られ、「起き上がり小法師」として、酒席における玩具として用いられました。江戸中期になると、そのデザインに禅宗の祖・達磨大師が多く使われるようになり、江戸後期になると「目なしダルマ」が登場するようになったのです。

     

     

    具の「起き上がり小法師」が、現在のような、目入れに使われる「目なしダルマ」になっていったのですね。

    そのエピソードについて、次回また詳しくお聞かせください。

     

    (原作:医学博士  武藤政春)

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      星座を見つめて飛ぶツバメ

      • 2017.03.14 Tuesday
      • 14:36

      星座を見つめて飛ぶツバメ

       


      近は暖かい日もあって春めいてきましたね。ツバメが飛んでいるのも見ましたよ。

       

      ツバメは3月上旬頃に日本にやってきて、10月頃越冬のために南の空へ去っていく渡り鳥ですね。ツバメの主食は小昆虫で、飛びながら飛行中の昆虫を捕食しています。ツバメは一生のほとんどを空中で過ごすのですよ。巣作りのときも、ヒナにエサをやるときもその身は通常空中のままなのです。

       

       

      バメが飛びながらヒナにエサをやる姿を見かけますね。ツバメの目も空中で過ごすのに適した特徴があるのでしょうか。

       

      ツバメの目は、タカと同じように二つずつ中心窩(視神経繊維が集中する網膜中心野のうち、より高度に機能集中されている部分)があり、耳側で前方を両眼視し、鼻側で側方を明視しています。このことはツバメの活動にとって二つの意味で大きな利点となっています。一つは広い範囲が見えるのでエサを見つけるのに好都合であること。もう一つは、三方向がよく見えているので、視覚による平衡感覚が優れているという点です。

       

       

      バメは秋に南へ飛び去った後、翌年も同じ巣に戻ってくると聞きました。地図も羅針盤もないのに、どうやって戻ってくることが出来るのでしょう?

       

      いろいろな説がありますね。例えば、地形を参考にしている、太陽の位置をコンパスにしている、月や星座を指標にしている、地球の磁気に導かれている、などが代表的な説です。このうち、実証されているのが星座です。プラネタリウムの中に鳥を入れ、春の夜空を映したところ、鳥たちはいっせいに北東ないし北北東の方向を向いて飛び立とうとしたそうです。

       

       

      ごいですね。ツバメは星座を見ながら飛んでいるということですね。

       

      星座が見えているのは夜間だけですから、日中の指標にはなり得ません。唯一の指標ではないことも確かです。渡りのとき、ツバメは何昼夜も飛び続けます。夜間はおそらく星座を指標にし、昼間は太陽や地形を指標に飛んでいるのでしょう。ツバメの目は、日常生活だけでなく、渡りにも大いに貢献していることは確かです。

       

      (原作:医学博士  武藤政春)

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