目にも「利き目」がある? 〜利き目と目利き(1)〜
- 2017.05.30 Tuesday
- 14:26
目にも「利き目」がある? 〜利き目と目利き(1)〜
ムトウ先生、手に利き手があるように、目にも利き目というものがあるそうですね。
利き目というのは、利き手と同じ意味合いで、主体的に使われる目のことをいいます。人間の眼は通常は両眼が同等に使われ働いていますが、時として片方だけが主体的に使われることがあります。
自分でも、どちらが利き目なのかわかるのでしょうか。
どちらが利き目か調べるには、遠方の一定の目標物を見ながら、眼前に指先を立て、両眼を開けたままで、遠方の目標物と指先を重ね合わせます。そして、右眼、左眼と片眼ずつつぶってみます。実際に遠方の目標物と指先が重なっていて、遠方の目標物が指先の後ろに隠れて見えなくなってしまう方の眼が利き目です。
なるほど、簡単にわかりますね!「利き目」といえば、同じ字の組み合わせで「目利き」という言葉もありますね。
鑑定がうまい人、見通しが確かな人のことですね。物事を見極める「目」がよく利くというわけです。ところで、日本史上最も「目利き」であったのは誰だと思いますか。わたしは薩摩藩であったと思っているのですよ。1600年、関ケ原の戦いにおける長州藩と比較してみると、そのように思えてきます。
関ケ原の戦では、ともに、敗者となった西軍に与していましたね。
長州藩の毛利輝元は、西軍の総帥として大阪城に入り、関ケ原には養子の秀元と叔父の吉川広家が出陣しました。しかし吉川広家が東軍に内通していたために、西軍が崩壊するまで秀元は一兵も動かすことが出来ませんでした。そして、豊臣秀頼を奉り大阪城に籠っていた毛利輝元も、本領安堵の密約のもとにあっさりと開城し帰国してしまいます。毛利は天下取りのチャンスを失った上に、家康に足元を見透かされ、本領安堵の密約もどこへやら、120万石の領土を36万石へと減封されてしまいます。
一方薩摩藩はどうだったのか気になりますね。また次回、お聞かせください。
(原作:医学博士 武藤政春)
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