眼の病気「そこひ」の由来とは?
- 2017.11.20 Monday
- 15:58
眼の病気「そこひ」の由来とは?
ムトウ先生、眼の病気で「そこひ」という言葉を耳にしました。これはどういうものですか?
目の病気の呼称として日本人に古くから使われてきた言葉ですね。江戸時代は、目の病気を「そこひ(底翳)」「うはひ(上翳)」の二つに分けて考えていました。「うはひ」はものもらいなど外から見て分かる、いわゆる外眼部の疾患、「そこひ」は外からはわかりにくい内眼部の疾患をさしていました。
今でいう白内障を「しろそこひ」と呼びます。人間の瞳孔は元来黒く見えますが、白内障は目の中の水晶体が白く濁るので、瞳孔が白く見えるわけです。また、「あおそこひ」と呼ばれる緑内障は、眼圧が高くなり、視神経が圧迫され障害を受ける病気です。眼圧が高くなると角膜が水膨れを起こし、そのため瞳孔を見るとどんよりと緑色がかって見えます。
「そこひ」という言葉の語源は何なのでしょうか。
その問題の前に、中国では眼の病気をどのように言っていたかについて触れましょう。眼の病気に対する呼称はさまざまな変遷を経て、次の二つに分けて考えられていったようです。
内障眼(ネイツァンイェン)
外障眼(ワイツァンイェン)
内障眼とは眼球内の病気、外障眼とは眼球外の病気のことです。内障眼は瞳孔の色で更に分類されていました。日本でいう「しろそこひ」は「銀風内障」、「あおそこひ」は「青風内障」といいました。そして時代が経つにつれ、「内障」という言葉は、中国では専ら「白内障」だけに用いられ、緑内障のことは「青光眼」と呼ぶ様になってきています。
「白内障」という名称のルーツはそこから来ているのですね。
話を「そこひ」の語源に戻しましょう。「そこひ」という言葉自体は、日本に古くからある言葉で、底知れぬ程深い底などを意味します。そしてこれは、多少神秘的なニュアンスを含んだ言葉です。
昔の人々にとって白内障や緑内障はどのような病気であったでしょうか。けがをした覚えはない、熱病にかかったわけでもない、それなのに知らず知らずのうちに眼が見えなくなっていく。何となく不思議であり不気味であるが、ともかく眼の奥底からの病気なのだろう。 そのような病気に対して、多少神秘的な不気味さをこめて「そこひの病ひ」という言い方がなされたのではないでしょうか。そしていつしか「そこひ」だけで眼病を意味して使われるようになったのではないかと思います。
(原作:医学博士 武藤政春)
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