動物の目のつく言葉【英語編】

  • 2018.06.21 Thursday
  • 14:26

動物の目のつく言葉【英語編】

 

回は動物の目に例えた言葉を、日本語表現においてお話しいただきました。今回は西洋における動物の目の例えについてお聞かせください。

 

英語の「cast 〔make〕sheep’s eye at〜(ヒツジの目を投げかける)」、これは「〜を流し目で見る、〜に秋波を送る」という意味で使われているようです。ライオンなどの肉食動物の目は、前方がよく見えるよう顔の前面に並んでついています。草食動物であるヒツジの目は、顔の側面についていて、どこから敵が襲ってきてもすぐに発見できるようになっています。ヒツジは同時にその目が切れ長であるため、何となく流し目をされているように感じたのでしょう。

 

ツジの目をそのようにとらえるとは、面白いですね。他にはどのようなものがありますか。

 

cat’s eye(ネコの目)は宝石の猫目石のことですね。ネコは、網膜の外側に反射層を持っています。外から直接網膜に達する光だけでなく、網膜をいったん通過した光を反射層で反射させ、もう一度感知するようになっています。反射した光が目の外にも出てきますから、ネコの目は薄暗闇でキラキラ光るのです。ちょうど猫目石がそのように光る石なので、cat’s eyeと名付けられたのでしょう。cat’s eyeは網膜芽細胞腫などの際に、目がキラキラと光る場合の症候名としても使われます。

 

候名の表現が、動物の目に由来することもあるのですね。

 

有名なものに、crocodile tears(ワニの涙)があります。これは先天性または顔面神経の麻痺後に起こるもので、顔面神経の配線が混線することによって、飲食時に唾液だけでなく涙も同時に出てしまう症状です。実際にワニが飲食時に涙を流すことはありませんが、瞬膜が角膜上の余分な水分をぬぐっている様子がそう見えるのでしょう。現在、一般的な英会話でcrocodile tearsといえば、そら涙を流す、しらじらしく流す涙を意味しています。

 

「目」「eye」を用いた表現には実にさまざまなものがあるのですね。文化の東西を問わず、昔の人々の観察眼には驚かされます。

 

(原作:医学博士  武藤政春)

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    動物の目のつく言葉【日本語篇】

    • 2018.06.18 Monday
    • 11:23

    動物の目のつく言葉【日本語編】

     

    雨に入りましたね、ムトウ先生。「蛇の目でお迎え〜」なんて歌もありましたが、最近はあまり言われなくなりましたね。

     

    「蛇の目傘」の「蛇の目」は、太い輪の形を意味する言葉です。形がヘビの目に似ているところから名付けられたのですよ。日本語には、このような動物の目に例えた言葉がたくさんありますね。例えば、足の裏などにできる「魚の目」は、形がサカナの目に似ていることと、サカナの目を食べるとなりやすいという言い伝えから名付けられたようです。

    ほかにも「猫の目」は「巨人打線はしょっちゅう打順が変わる猫の目攻撃だ」のように使われます。めまぐるしく変化するものの意ですね。瞳孔は、暗い所では光を多く採り入れるために大きく、明るい所では反対に小さくなります。ネコはヒトに比べて瞳孔の大きさの変化が非常にすばやいので、めまぐるしく変わるものに対して例えに使われるのでしょう

     

    かにそうですね。ほかにもそのような例えを使った言葉があるのでしょうか。

     

    夜になると見えなくなる夜盲症のことを「鳥目」といいますね。目の網膜の視細胞には、錐体と杆体の二種類があります。錐体は昼間明るいところで働き、杆体は夜働きます。トリは網膜の視細胞すべてが錐体で構成されています。ですから昼間はヒト以上に視力が優れていますが、夜は全く見えなくなっています。

     

    の目が夜見えないのは、そのような訳なのですね。

     

    鳥といえば、「鵜の目鷹の目」は、ウやタカが獲物を探すときのように、熱心に物を探す目つきや様子をいいます。ウやタカは実際にヒトよりも視力のよい動物です。ウは空気中でも水中でも物がよく見えます。ウの目の水晶体はピント合わせの力が非常に強力なので、ヒトのように水中で遠視になることもありません。またタカは、ヒトの八倍以上視力が優れていると言われています。タカの視力が優れているのは、網膜に錐体が非常に機能的に集中して分布しているからです。

     

    代東洋人が、いかに自然に対して鋭い観察力を持っていたかを物語っていますね。

     

    東洋だけでなく、西洋にも動物の目に例えた言葉がありますよ。次回は西洋についても見てみましょう。

     

    (原作:医学博士 武藤政春)

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      狂歌に詠まれた「目」

      • 2018.06.06 Wednesday
      • 19:02

      狂歌に詠まれた「目」

       

      「狂歌」を知っていますか?洒落や風刺をきかせた五・七・五・七・七の短歌です。現在はすたれてしまいましたが、「目」の出てくる狂歌には面白いものがあるのですよ。

       

      前、「目」の出てくる川柳についてお話しいただいたことがありましたね。狂歌についても興味深いです。

       

      江戸時代の狂歌を見てみましょう。例えばこんなものがあります。

        としどしに目も弱りゆき歯もかくる

        古鋸(ふるのこぎり)のひきてなき身は

      「ひきてなき」は「引く手あまた」の反対です。古くなった鋸は目も弱り歯も欠け、誰も引いてはくれないのと同じように、若い頃はあれ程言い寄る男が多かったのに、年をとり目も弱り歯も欠けるようになったこの頃は誰も声をかけてくれないという狂歌らしい題材です。

        福徳の宝と思へのらむすこ

        いつも親父にもらふ目の玉

      大目玉をくれる親父も最近は少なくなってきたようですね。

       

      かなか面白いですね。他にはどのようなものがあるのでしょうか。

       

      狂歌には恋の歌も多いようです。

        こはごはも人の見る目をぬき足に

        ふみそめてけり恋の道芝

      これは初恋を詠んだ歌ですね。「目をぬき」というのは、人の目をくらませることで、「抜き足」にかかるかけ言葉になっています。

      目の病気が登場する狂歌もあります。

        「目をやめる人をみ侍りて」

        うば玉のやみ目は空にしられねど

        うたかたは星かたかたは雲

      「うば玉の」というのは黒、夜、夢、闇にかかる枕詞です。闇、空、雲という縁語を使って、目の病気の人を見舞に行ったら、ある人達は目の星で、ある人達は目の雲で入院していた、と詠んでいるのです。この頃から目の病人も入院していたらしいことがうかがえますね。

      目星というのは今でいう角膜感染症のことで、目の雲とは翼状片のことでしょうか。

       

      柳などは現在でも愛好者が多いですが、狂歌がすたれてしまったのは何故でしょう。

       

      庶民の文学となった川柳に対して、狂歌は古典和歌の伝統を負っており、より文学的素養が必要な分だけ難解なのでしょう。狂歌では、縁語、かけ言葉、本歌取りといった古典和歌の技巧が駆使されており、古典和歌の素養が必要とされるのです。

      しかしながら難解なものだけではなく、狂歌にもそれなりの良さがあります。今はすたれてしまっていますが、狂歌の良さが再認識されてもいいのではと思います。

       

      (原作:医学博士 武藤政春)

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