目のつく地名 〜西日本編〜

  • 2018.09.18 Tuesday
  • 15:32

目のつく地名 〜西日本編〜

 

海道から中部にかけて「目」のつく地名のお話を伺ってきましたが、あとは西日本ですね。

 

西日本には、歴史や伝説に由来を持つ地名がありますので、見ていきましょう。奈良市に布目川(ぬのめがわ)という川があります。布目の目は部の意味らしく、昔「はたおり」の人が多くいたため、布部即ち服部(服織部)を由来に名付けられたようです。同様に、鹿児島県に勝目(かちめ)という地名がありますが、これは鍛冶部からきているようですね。

また、三重県の観光地、赤目一志峡(あかめいっしきょう)をご存知でしょうか。南北朝の頃活躍した北畠氏の史跡の多い所ですね。ここは有名な赤目四十八滝があります。「役(えん)の小角(おつの)」がこの地で滝に向かって修行している時に、不動明王が牛に乗って出現し、その牛の目が赤かったために赤目の名が付いたという話があります。

 

「役の小角」は、飛鳥時代の呪術者ですね。現在でも、ゆかりの史跡が多く残っています。

 

山口県山口市から萩市に抜ける山道の静かな山峡を流れているのが蔵目喜川(ぞうめきがわ)です。この名の由来は「ざわめき」からきたそうです。この辺りは奈良時代から銅山が開かれていました。関ケ原合戦後、毛利氏は藩の財政上この銅山を重視し、大量の人夫を送り込んで採掘に当たらせました。一時は大勢の人が集いざわめき、賑わったといいます。

 

ケ原で敗軍となった毛利氏は大幅に減封されたのでしたね。財政上の苦労があり、銅山を積極的に採掘したのでしょうか。

 

熊本県には、人吉市内から西へ7km、鹿目(かなめ)側の渓谷の奥に鹿目の滝があります。鹿目の部落は相良藩と薩摩藩の重要な国境の一つで、名の由来は「要」のようです。

この鹿目の部落に浄瑠璃にうたわれた河合又五郎の屋敷跡があります。河合又五郎は叔父を殺したために、その息子と息子の義理の兄である荒木又右衛門に、伊賀の上野の鍵屋の辻で敵討ちにあってしまいます。これが、曽我兄弟、赤穂浪士とともに日本三大敵討ちのひとつに数えられる「鍵屋の辻」ですね。河合又五郎は、返り討ちした場合には鹿目の部落に帰るつもりでいたようです。

 

ることは叶わなかったわけですね。全国にある「目」のつく地名を見てきましたが、その由来は実にさまざまでした。地名の成り立ちから、地方の歴史をひもといていくのも一興ですね。

 

(原作:医学博士 武藤政春)

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    「目」のつく地名 〜関東・中部地方編〜

    • 2018.09.07 Friday
    • 09:14

    「目」のつく地名 〜関東・中部地方編〜

     

    日の北海道や東北の「目」のつく地名のお話はとても興味深いものでした。そういえば、東京にも「目白」「目黒」という「目」のつく地名がありましたね。

     

    どちらも山手線にある駅名ですから、初めて東京に来た人には紛らわしいものでしょうね。この二つの地名の由来は江戸時代にさかのぼります。江戸には五つの不動堂がありました。現在の目黒区下目黒にあった目黒不動、豊島区目白にあった目白不動、ほか、世田谷区に目青不動、台東区に目黄不動、文京区に目赤不動、この五つは五色不動と呼ばれてあつい信仰を受けていました。五つの内現在も地名として残っているのが目白と目黒の二つなのです。

     

    白・目黒にそのような由来があるとは知りませんでした。

     

    東京近郊にも「目」のつく地名はいくつか見ることが出来ますね。日光市の笹目倉山(ささめくらやま)、東京都と秩父市の境界にある天目山(てんもくざん)、神奈川県の目久尻川(めくじりがわ)、金目川(かなめがわ)などがあります。

    笹目倉山はササメ(篠竹)が多い山という意味で、当て字で目の字が使われているだけのようです。天目山というのは元々中国にある山ですが、これに似ているということで名付けられたようです。天目山は昔、日本からも禅僧が修行に出かけた所で、この僧達がこの地の名産品を持ち帰って日本でも作るようになったのが天目茶碗なのです。

     

    れが天目茶碗のルーツなのですね。いにしえの話を紐解くのは面白いものです。

     

    話といえば、中部地方にも面白い伝説のある「目」のつく地名がありますよ。石川県の白山国立公園の中の目附谷川(めつごたにがわ)には次のような話が伝わっています。

     「昔、白山が女人禁制だった頃あるうぬぼれの強い美人がいた。女人禁制といえども、自分程の美人なら許されるであろうと、白山の頂上へ登って行った。八合目に来ると大入道が現れ、これ以上行ってはならんとどなったが、女は気にもとめずに登っていった。白山の神はこれを大いに怒り、その女を二つに割り、片方を谷へ投げつけた。それ以来その谷の近くを通ると、片足の女が立っていたり、わらじが片方だけあったりするという。現在でもこの谷に住むイワナは片目であるという。」

    この地方では、片目のことをメッコといい、メッコ谷が目附谷になったと考えられています。

     

    ょっとゾッとするようなお話です。なかなか夏の夜にふさわしい趣がありますね。

     

    (原作:医学博士 武藤政春)

     

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