眼病に悩まされた藤原道長

  • 2017.10.01 Sunday
  • 10:41

眼病に悩まされた藤原道長

 

 

藤原道長といえば「この世をば我が世とぞ思ふ望月の〜」の歌で有名な平安時代の権力者ですが、実は糖尿病に苦しめられていたのを知っていますか?

 

 

りませんでした…そのようなことがわかるのですか?

 

道長の日記『御堂関白記』や同時代の貴族の日記に、道長が昼夜の別なく水を欲していたという記載があり、道長は糖尿病だったに違いないと信じられています。
そして重い眼病にも悩まされていたようです。『御堂関白記』には「目が暗い。お祓いをしたが明るくならない」「二、三尺隔てた人の顔も見えない」など視力の低下を嘆く様子が記されています。おそらく糖尿病による白内障や網膜症だったのでしょうね。

 

 

華を極めた権力者も病には悩まされたということですか。

 

当時、藤原一族には、糖尿病や眼病の者が数多くいたのですが、道長は、自分の眼病について「たたり」ではないかと考えていたようです。
道長というとエリートですんなり栄光の座についたように思われがちですが、彼は五男であり、兄弟との権力争いの果てにその座をもぎとった人物です。道長が確固たる権力者の地位についたのはかなり晩年のことであり、それまでに邪魔な身内をでっちあげの嫌疑で告発・左遷せしめたり、言うことをきかない三条天皇を退位に追い込んだりしてきました。

 

 

条天皇は「心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな」という、世をはかなむ歌が有名な方ですね。

 

三条天皇は40歳にして殆ど視力を失っていました。道長は自分の孫を皇位につけて自らは摂政になりたいと考え、三条天皇に対して「そんな目では天皇としての仕事に差し障りがある」といびり続けたようです。耐えきれなくなった三条天皇の退位で道長は念願を叶えたものの、今度は自分が眼病に悩まされるようになり、視力を失っていったのです。

 

 

果応報というか、道長が「たたり」と考えたのも無理からぬことですね。

 

道長は、晩年に出家し、自ら建立した法成寺の阿弥陀堂に籠ってお経を読んで暮らしたといいます。最後には阿弥陀仏と自分の指を七色の糸で結び亡くなったそうですが、はたして極楽に行けたのか否かは知る由もないですね。

 

(原作:医学博士  武藤政春)

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    兼好法師の視力はどのくらい?

    • 2017.09.17 Sunday
    • 10:12

    兼好法師の視力はどのくらい?

     

     

    トウ先生、先日のように過去の偉人の目について考えていくのは面白いですね。日本の有名な文学者などはどうでしょうか。優れた書物を書き残しているのですから目も良かったのでしょうか。

     

    そうですね…では今回は兼好法師について考えてみましょう。「徒然草」が書かれたのは兼好法師が48歳か49歳の頃と考えられています。「徒然草」の七段で、長くても40歳前に死ぬのが見苦しくないものだ、と述べていますが、これを書いていた頃にはゆうに40歳を過ぎていたわけであり、最終的には70歳近くまで生きたわけです。
    「徒然草」をひもといていくと、兼好の目がどんな目であったか何となく類推できますよ。

     

     

    とえばどのようなものですか?

     

    十三段で「ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ(ただ一人灯火のもとに書物を開いて昔の人を友とするのが格別心なごむことだ)」と述べています。50歳近くなって灯火のもとに読書を楽しめたということは、老眼鏡がなかった時代であることを考えると、彼は近視だったのではないかということを類推させます。

     

     

    視ですか。書物を読むのも書くのも、さほど不自由がなかったのですね。

     

    四十三段では「東に向きて妻戸のよき程にあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年二十ばかりにて、うちとけたれど心にくくのどかなるさまして机の上に文をくりひろげてみゐたり」と記述しています。これなどはかなり遠方を詳しく描写していますので、強度近視であったとは思われないですね。
    兼好はおそらくマイナス1〜2Dくらいの軽度近視だったのではないかと思われます。

     

     

    視の度合いまで推し測ることができるのですね。ほかの文学者についても考えてみると面白そうです。ぜひまたお話を聞かせてください。

     

    (原作:医学博士  武藤政春)

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      動物はまばたきをしなくても平気?

      • 2017.09.10 Sunday
      • 10:07

      動物はまばたきをしなくても平気?


       

      トウ先生、聞くところによると、人間の目は1分間に20回もまばたきをしているのだそうですね。一方、動物のまばたきというのはあまり見ないような気がします。
       

      一般にヒト以外の動物は、ヒトほどまばたきをしません。顔面神経麻痺によって閉瞼が不能になり目が充血した状態を「兎眼」といいますが、実際にウサギはほとんどまばたきをしないのです。
       

       

      物はまばたきをしなくても大丈夫なのでしょうか?

       

      ヒト以外の動物がまばたきをしない大きな理由のひとつは、「第三のまぶた」と呼ばれる瞬膜があることです。この瞬膜は、ヒト以外のほとんどの動物に見られ、上下のまぶたによるまばたきの代用をしています。また、瞬膜はさまざまな役割を持っています。人間生活における眼帯やサングラス、ゴーグルのような役割です。

       

       

      いぶん万能なのですね。具体的にはどのように作用しているのですか?

       

      例えば角膜に傷が出来ると、しばらくの間は瞬膜が角膜をすっぽり覆った状態になります。人間が抗生物質の軟膏を塗り眼帯をした状態と同じですね。
      また、ネコは長期間の下痢などで体力が落ちると、瞬膜が眼を覆います。目の中に入る光の量を減らして、ロドプシン(脊椎動物の視物質の中枢色素で視紅ともいう。感光によって視神経を興奮させる役割をもつ)の消耗を避けているのでしょう。
      鳥も飛行中は、風やゴミが直接目に入らないように瞬膜が覆っています。ちょうど人間がサングラスやゴーグルをかけるのと同じですね。

       

       

      膜がまばたきの代用をしてくれることが、動物のまばたきが少ない理由なのですか?

       

      一般に、ヒト以外の動物の痛覚が鈍感であることも関係しているでしょう。まばたきは目の乾燥感によって導かれることが多く、その乾燥感は痛覚神経によって伝達されます。痛覚が鈍感な動物はあまり乾燥感を感じず、まばたきの回数が少なくなるのでしょう。
      それと同時に、まばたきの回数が少なくても済むような、角膜の生理学的な違いや涙液性状の違いがあるのかもしれませんね。

       

      (原作:医学博士  武藤政春)

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        ゴッホは緑内障だった?

        • 2017.08.29 Tuesday
        • 14:38

        ゴッホは緑内障だった?


         

        術展でゴッホの作品を見てきました。絵画というのは、画家や時代によってさまざまな画風があり、とても面白いですね。
         

        画風といえば、アメリカの眼科学会で、独特の画風を持つ画家たちは実は眼病持ちのためにそのような画風となったのではないか、という説が発表されたことがあります。例えば、ルノワールの絵は輪郭がボーッとしているが、これはルノワールが高度近視であったために物がはっきり見えなかったためではないか、などです。

         

         

        んなことは考えてもみませんでした。他の画家についても言われているのですか。

         

        他の画家についてもいくつか説が述べられています。たとえば…

        ・レンブラントは百枚以上の自画像を描いているが、これを年代順に見ていくと、初期には細部まで明瞭であったものが、年とともにボケた絵を描くようになっている。これは遠視があって、それに老眼が輪をかけたのではなかろうか。

        ・ゴッホの自画像を詳細に見ると、左右眼の瞳孔の大きさが違う。また、光の周りに暈(かさ)が描かれているものが多い。これは緑内障で出やすい症状であり、ゴッホは緑内障であったのではないか。

         

         

        れは本当なのでしょうか?

         

        これが適切な指摘かどうかについては一考が必要です。
        レンブラントに対する推測は恐らく妥当なところでしょう。ゴッホに対する指摘も当たっているかもしれませんが、そうでないかもしれません。光の周りの暈は、彼の狂気からの幻想のためかもしれませんからね。
        ルノワールに対する推測ははずれだと考えます。彼の絵の輪郭は、印象主義の影響を受けていたためですし、「ムーラン・ド・ガレット」などは遠景まで細かく描写されており、高度近視の眼では描けなかった絵のはずです。

         

         

        うですか。当らないにしてもなかなか面白い考え方ではありますね。

         

        さまざまな視点から過去の「偉人の目」について考えるのも、大変興味深いことですね。またそのようなお話もしていきましょう。

         

        (原作:医学博士  武藤政春)

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          守りに徹するナマケモノ〜ナマケモノ(2)〜

          • 2017.08.20 Sunday
          • 10:11

          守りに徹するナマケモノ〜ナマケモノ(2)〜


           

          回に続き、ナマケモノの話ですね。感覚面、運動面であまり取柄のないナマケモノが今日まで種族を絶やさなかったのはなぜでしょうか。
           

          それは、ナマケモノが専守防衛に徹底しているからかもしれません。ナマケモノは、他の動物の注意を引き付けないように心をくだいています。昼間は全くといってよいほど動かず、夜動くときは静かにゆっくりと動きます。
          また、ナマケモノは木の上からフンをしますが、フンの落ちる音や臭いで自分の存在が悟られないようにするため、主に雨の日にしか用を足しません。

           

           

          んなことまで気を付けているのですか!ではナマケモノは敵に襲われることはないのでしょうか。

           

          用心を重ねていても、襲われることもあります。敵に襲われると、普通の動物は必死に逃げるか抵抗しますが、ナマケモノは逃げもせず歯向かうこともしません。

           

           

          げることさえせずに、どうするのでしょうか。

           

          強い爪を食い込ませて、ひたすら木にしがみつきます。こうなるとタカでも木からはがせないといいます。ここでものをいうのが体の頑丈さです。厚くて丈夫な毛皮と皮膚、強いカゴのような肋骨に守られているので、木にしがみついてさえいれば、多少のかすり傷で済んでしまいます。あとは敵があきらめて去るのを待つだけです。

           

           

          マケモノを見る目が変わりそうです。ただじっとしていることも筋金入りというわけですね。

           

          (原作:医学博士  武藤政春)

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            ナマケモノは目も怠け者?〜ナマケモノ(1)〜

            • 2017.08.09 Wednesday
            • 14:16

            ナマケモノは目も怠け者?〜ナマケモノ(1)〜


             

            日暑いですね。つい、冷房の効いた部屋でじっとしていたくなってしまいますね。
             

            まるでナマケモノのようですね。中南米の森林に生息するナマケモノは、木の枝にぶら下がったままほとんど動かず、セクロピアの葉などを食べて毎日を過ごしています。私はナマケモノにまだ会ったことはありませんが、なぜか親近感を覚えるのですよ。

             

             

            の枝にぶら下がり続けるのも大変な気がしますが、ナマケモノは平気なのでしょうか。

             

            ナマケモノの体は、大変頑丈にできています。肋骨はしっかりとくっつき合い、胸を取り巻いていますし、頸椎骨は九本もあって首を一回りしています。皮膚も厚く、毛は二層に生えています。強いカゴのような骨組み、厚く丈夫な毛皮と皮膚で、体がしっかりと保護されているのですよ。

             

             

            マケモノの視力や観察力はどうですか?ヒラメのように、動かなくても周囲をレーダーのように観察しているとか?

             

            残念ながら、ナマケモノは感覚面ではあまり取柄がないようです。まず、視力はそれほどよくありません。例えば、迷子になった子どもに腕を差し出すとき、すぐ近くにいるのにあらぬ方向に手を差し伸べたり、木に登っているときも、とんでもない方に手を伸ばして、ありもしない枝をつかもうとしたりします。
            身を守るために、黒い影が動くことだけには敏感なようですが、形態覚はよくないようです。聴覚や臭覚も、視覚よりはましなようですが、やはりそれほど鋭敏ではありません。
            運動機能面では、感覚よりもさらにひどいようです。逃げ足も遅く、最ものろまな動物の一種といってもよいし、敵と戦う有効な武器も持っていません。

             

             

            うなんですね…。優れた身体機能を持つ動物が数多いる中で、どうしてナマケモノが今日まで種族を絶やすことなく生き延びてきたのか、かえって不思議になってきます。

             

            そのことにもちゃんと理由があります。では、次回はナマケモノが生き延びてきたワケについて、お話しすることに致しましょう。

             

            (原作:医学博士  武藤政春)

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              青森市に県庁が置かれた理由とは〜ねぶたの歴史(2)〜

              • 2017.07.30 Sunday
              • 10:29



              青森市に県庁が置かれた理由とは〜ねぶたの歴史(2)〜

               

               

              回に続き、ねぶた祭が行われる青森市のお話ですね。ねぶた本.gif

               

              青森県というのは、明治4年に5つの藩が合併してできた県です。うち弘前藩と八戸藩が大藩でしたので、その城下町である弘前・八戸のいずれかに県庁が置かれるのが妥当なはずでした。ところが、一漁村に過ぎなかった青森に県庁が置かれることになったのです。

               

               

              に異例のことだったのですね。どのような理由があったのでしょうか。

               

              ひとつの説明として、青森が北海道開拓の基地として交通の要衝であったことがあげられます。しかしそれだけではなく、もう一つの大きな理由があったのです。
              1571年、現在の青森県・岩手県の領域を事実上支配していたのは南部氏です。しかし南部氏では次の当主の座をめぐって内紛が続いていました。その状況の中で、それまで南部氏の支配下にあった津軽為信は南部氏の群代を奇襲し、独立を宣言します。

               

               

              1571年といえば、織田信長の時代ですね。その11年後に本能寺の変が起きています。

               

              そうですね。津軽為信は常に中央の動向を観察しており、秀吉がやがて天下人になるであろうことを察していました。そして1589年、秀吉が小田原討伐のために京を発つと、わずか18騎だけを引き連れて急ぎ駆けつけ、秀吉に謁見し、津軽3郡の領有を認める旨の朱印安堵状を手にします。南部氏も小田原に参陣したものの、時すでに遅く、津軽為信が朱印状を手にした後のことでした。

               

               

              部氏の側から見ると、してやられたというところですね。

               

              明治になり、そのような因縁を持つ弘前津軽藩と八戸南部藩が合併したわけです。領地比率でいけば弘前藩の方が広く、弘前藩では県庁所在地として弘前を要求しました。しかし八戸藩では、自らが本家筋であるとの意識が強く、これを呑むことをしませんでした。
              この両者の折り合いがつかず、折衷案として青森が県庁所在地に決められたという経緯もあるようです。

               

               

              在、青森市で勇壮なねぶた祭りが見られるのは、300年にわたる南部氏と津軽氏の確執があったおかげなのかもしれないのですね。

               

              (原作:医学博士  武藤政春)

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                ねぶた祭の「ねぶた」の意味とは〜ねぶたの歴史(1)〜

                • 2017.07.21 Friday
                • 17:24


                ねぶた祭の「ねぶた」の意味とは〜ねぶたの歴史(1)〜

                 

                 

                トウ先生、夏は各地で華やかな夏祭りが行われますね。

                 

                華やかな夏祭りというと、東北地方の祭りが思い浮かびますね。仙台七夕まつり、秋田竿燈まつり、青ねぶた.gif森ねぶた祭の三大祭は、ぜひ行ってみたいものです。特にエネルギッシュな夏祭りとして有名なのは、青森市のねぶた祭りと弘前市のねぶた祭りですね。

                 

                 

                ぶた祭りといえば、大きな燈篭のまわりを「ラッセー、ラッセー、ラッセッセー」と踊って練り歩く光景が有名ですね!

                 

                ねぶたは、盆に家々に迎えた先祖の霊を燈籠とともに送り出す灯籠流しがその起源となっています。灯籠流しには、罪や汚れをも送り出してしまう意味がこめられていますが、「ねぶた祭り」には、「ねぶた」を追い払う意味がこめられているのですよ。
                「ねぶた」というのは「ねむた=眠たい=睡魔」という意味なのです。睡魔を追い払うためにも、目の覚めるような、派手な大きな人形燈篭が必要なのでしょう。

                 

                 

                ぶた祭りにはそのような意味があったのですね。

                 

                8月といえば、労働が厳しく、眠気に襲われやすい季節ですが、1年の3分の1を雪に閉ざされる津軽の人にとっては、夏の間にしっかり働いておかねばならず、疲れた体にムチ打って、睡魔を追い払おうというわけです。
                華やかな祭りの陰には、雪深い里に住む人々のやるせなさが漂っているようでもあり、「ラッセ、ラッセー」という勇ましい掛け声も、どこか物悲しく聞こえるようにも思えますね。

                 

                 

                ぶた祭りは、古くから行われていた祭りなのでしょうか。

                 

                弘前市のねぶた祭りは少なくとも二百年以上の歴史を持っています。対して、青森市のそれはずっと歴史が浅いのです。青森市は、明治に至って青森県の県庁が置かれてから発展してきた町であり、明治維新までは津軽藩の一漁村に過ぎませんでした。大きな祭りが行われる程の人口ではなかったのです。
                明治維新後の廃藩置県で県庁が置かれたのは、その地方の中心地であった城下町や、商業的に栄えた港町・宿場町などでした。そのいずれでもない青森市に県庁が置かれたのは異例ともいえます。次回はその歴史について振り返ってみましょう。

                 

                (原作:医学博士  武藤政春)

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                  闇のハンター フクロウ

                  • 2017.07.10 Monday
                  • 14:18

                  闇のハンター フクロウ

                   

                   

                  クロウというのは、平和な可愛い顔をしていますね。猛禽類とは思えないほどです。

                   

                  人間に観察されているときのフクロウは、いつも眠そうな細い目をしていますね。人間がフクロウを観察できる明るさは、フクロウにとっては明るすぎるのです。フクロウは日中は木の枝に止まって眠り、暗くなると目を覚まします。闇の中で聞き耳をたて、ネズミやウサギなどがちょっとでも動くと、その気配を聞き逃さず、羽音もたてずに襲いかかって捕まえ、食べてしまいます。

                   

                   

                  の世界で活躍するハンターですね。フクロウの目は暗い中でも見えるのでしょうか。

                   

                  暗い所で行動する夜行性の動物は、聴覚や嗅覚が非常に発達しています。フクロウの場合、聴覚のみでエサを察知できることが実験的に知られています。では視覚はどうなのかというと、かすかな明るさの中でも視覚が十分機能する工夫が施されています。フクロウといえば、大きな目が特徴的ですね?SnapCrab_NoName_2017-7-10_14-24-51_No-00.gif

                   

                   

                  の大きな目は可愛いですが、それも暗闇で獲物を捕らえるためのものなのですね?

                   

                  フクロウの目は、脳の大半を占めるほど大きな目をしています。あまりに大きいので、眼球の一番外側の層を包み込む強膜が、頭骨と癒着してしまっているほどです。このため、眼球は全く動きませんが、限られた光を多く採り込めますし、前方を両眼視してよく見えるようになっています。しかも首が柔軟なので、左右に270度ずつ回転し、瞬時に真後ろも見ることが出来ます。

                   

                   

                  い所でフクロウに狙われたら恐ろしいですね。眼球の構造にも特徴があるのですか。

                   

                  フクロウの目は水晶体と眼底の距離が長く、目に映る映像はより拡大されて眼底に投影されます。水晶体が厚く、比較的近方に焦点を合わせた目になっています。水晶体による調節力はあまりなく、ヒトのように調節を水晶体だけに依存しているのであれば、ごく近方はよく見えないことになります。しかしフクロウは角膜の曲率を変化させる特殊な筋肉を持っています。ごく近方を見るときは角膜の屈折力を変えて調節を行います。
                  夜になると「鳥目」になるほかの鳥類と違って、フクロウの網膜は少量の光に反応する視細胞で構成されています。夜間に獲物を追いかける動物として理想的な目を持っていると言えるでしょう。

                   

                  (原作:医学博士  武藤政春)

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                    涙を流して獲物を食べるワニ

                    • 2017.06.27 Tuesday
                    • 14:50

                    涙を流して獲物を食べるワニ

                     

                     

                    トウ先生、ワニは獲物を食べるとき涙を流しながら食べると聞きましたが、本当ですか?

                     

                    ヨーロッパでは長い間、ワニは神の化身であり慈悲深い動物で、獲物を食べるとき慈悲の涙を流すと言い伝えられてきました。しかしこの涙は、ワニの目の優れた構造によるものなのですよ。

                     

                     

                    中に潜ったり水面に現れたりするワニの生活に関係するのでしょうか。

                     

                    ワニは潜水艦のような動物です。水中の魚介類も食べますが、それだけでは食欲が満たされず、むしろ水辺を訪れる鳥や動物を主食にしています。水辺近くの水中に身を潜め、水辺に来た獲物を水中に引き込み、溺死させて食べてしまうのです。
                    ワニの目は頭のてっぺんについていて、水中に潜んでいても目だけは水面上に出て周囲の観察ができます。ワニの目は空気中でほぼ正視、水中では強度の遠視になります。つまり水中よりも空気中を観察するのに適した目なのです。

                     

                     

                    上を見る方が得意なのですね。他にどのような特徴があるのでしょうか。

                     

                    ワニの瞳孔は、ネコと同じように縦長のスリット状に縮瞳します。円形の瞳孔に比べて横幅をより狭くすることが可能で、太陽光が反射する水面上では、まぶしさを避けられて非常に都合が良いのです。
                    またワニのまぶたは、カエルと同じように下から上に閉じるので、目を半分閉じていれば水が入りにくい構造になっています。さらにまぶたの皮膚が非常に薄いので、獲物をくわえて水中にもぐり目を閉じていても、うっすらと見えているのです。

                     

                     

                    を流すというのは、そのような目を保護する働きのひとつなのでしょうか。

                     

                    ワニのまぶたには細長い瞬膜(しゅんまく)がついています。この瞬膜は、車のワイパーのように左右によく動き、角膜上の余分な水分をふき取ります。そのため、ワニが獲物をくわえて水中から水面に浮かび上がっても、すぐに良好な視界が得られるというわけです。
                    瞬膜のワイパーが作動して角膜上の余分な水分をぬぐっているのが、人間にはワニが涙を流しているかのように見えたのでしょうね。

                     

                    (原作:医学博士  武藤政春)

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